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読書やビデオ鑑賞の中で、その気はなかったのにモヘた 結果の断片の諸々
本当に最初は健全だったんです! と言って何人が信じてくれるだろうか












『モーツァルトは子守唄を歌わない』原作版(森雅裕)・コミック版(有栖川るい)
名シーン、名場面、迷科白のご紹介

モーツァルトの死の謎を解く、音楽ミステリ。

原作はハードカヴァーと文庫と、どうやら新書版はKKベストセラーズから
出版されているようだが、私が確認しているのは講談社刊のハードと文庫のみ。

主要人物は主人公であり探偵役を負わされるベートーヴェン(三十代)
ベートーヴェンの弟子で生意気盛りのカール・チェルニー(十八歳)
モーツァルトの不義の子、勝気な娘シレーネ・フリース(十八歳くらい)
あとは宮廷楽長サリエリや、若きシューベルトや、モーツァルト未亡人や…。

抜粋は主にコミックスをベースに。
謎解きのネタバレをしないように気をつけていますが、多分謎解きには無関係な抜粋が多いかと。

「ベートーヴェン先生!!」

(チェルニー、コミック1巻、28ページ)
後で原作を読んで驚きはしなかったけれども、
心中、コミックス作者の有栖川先生にブラボーを送った。
物語はハイドンの葬式の日から始まるが、
その会場にチェルニーが現れる。これは原作にはない登場だ。
のっけから花をしょい、金髪を揺らめかせて登場。
春鮫は追々、この登場シーンに奇妙な動悸を覚えるようになる。


「バレエ曲「プロメテウス創造」で袂を分かったハズのハイドンに
去年「天地創造」の演奏の後ベートーヴェン先生のお祝いのキス!
あの光景には感動しましたよ」

(チェルニー、コミック1巻、29〜30ページ)
ハイドンの葬式のため、こういった話題が登場する。
原作では地の文で語られるのみだったが、ここではチェルニーが説明してくれる。
が、問題はこの後に続く科白で
「いつか僕も先生とケンカして仲なおりしてキスを―――」
「せんでいい!」
とベートーヴェンに一蹴されるチェルニー。残念そうな顔をしている。
割と本気でそういう場面を演じてみたかったようだ。


「18歳の生意気ざかりでね」

(ベートーヴェン、コミック1巻、33ページ/原作文庫、25ページ)
これは両方に登場する科白。
サリエリに次の演奏会でも「ガシャガシャうるさく弾きまくる気かね」と言われ、
次は弟子のチェルニーに弾かせると言ったベートーヴェンの言葉。
評判の大変な実力だったよう。
子供に手を焼く親の科白のようで、なんだか微笑ましい。


「「鎮魂曲」が終わったから僕は帰ります 先生は?」
「俺も帰りたいのはやまやまだがな 雨が―――」
「あ……」

(チェルニーとベートーヴェン、コミック1巻、44ページ)
コミックス、オリジナルのシーン。
ハイドンの告別式から帰ろうとするチェルニーと、ためらうベートーヴェン。
ここで数コマ回想が入り、以前雨に打たれたベートーヴェンが耳の具合を
悪化させ、医者に咎められるシーンが挟まれる。
この回想の中でもチェルニーが付き添っているが、そのときのベートーヴェンが
横向きに寝、枕を片手でぎゅっと掴んで、眉間に皺を寄せ、悔しさと悲しさの
ないまぜになった表情をしているのがたまらない。つか可愛い。
回想からベートーヴェンは楽器の音が聞こえなくなったら作曲家の自分は
どうなるのかという憂いに耽るが、そこで急にチェルニーの
「大丈夫ですよ」
という現実の科白の入ってくるのに、ベートーヴェンともどもハッとした。


舞台では、練習中のピアノ協奏曲が第二楽章から第三楽章へ移ろうとしていた。
オーケストラが静まり、ホルンだけが思いきり長く鳴り続ける。
窒息しかけたホルン吹きが、来るしまぎれに足をどたばたさせるのにかまわず、
私の指揮は遅めのテンポを維持していた。
チェルニーのピアノが三楽章の主題を手探りする。
抑圧の続く中で、期待と緊張を持続させ、一気に光輝なる歓喜の爆発へ持っていく
――私の得意のやり方である。

(コミック1巻、64ページ〜/原作文庫、36ページ)
コミックスを読んで、おそらく最初に心を動かされ、原作の力量を知った部分。
ここの演出はコミックスも原作も音楽が聞こえてくるようだ。
この部分から知れる原作の文章の味を良しと思ったからこそ、
私は翌日一番に図書館に原作を探しに行くことになる。


この後、物語冒頭に登場した楽譜屋がずぶ濡れの焼死体となって劇場で発見され、
しかも楽譜店は火事になるという、「歩く死体」の謎が登場する。
これにモーツァルトの子守唄やサリエリが絡んでいるらしい。


「その…サリエリの弟子に会いたいな名前はなんという?」
「シューベルトです フランツ・ペーター・シューベルト 王立首都神学校の奨学生です」
「神学校? 少年合唱団のメンバーなのか?」
「ええ まだ12歳です」
「子供だ」
「ですが熱心なベートーヴェン崇拝者ですよ」
「俺の崇拝者がどうしてあのイタリアのじいさんの弟子になってるんだ」
「だって貧乏人をあなたが弟子にしてくれますか」
「むろんお断りだ」

(コミック1巻、81〜83ページ/原作文庫、41〜42ページ)
師弟漫才とも言われるベートーヴェンとチェルニーの遣り取りがこのへんから炸裂しだす。
こういう遣り取りをしているからピアノの練習は中断され、謎解きに奔走するように…、
そしてケチなのに弟子にお茶をおごるはめになるのだった。


何をそんな泣きそうな顔をしてるんだ
「あの…あの…」
そんなに私の顔は恐いか?
「歯でも痛いのかね」
「先生 冗談のつもりでしょうけどハズしてます」

(コミック1巻、88ページ/原作文庫、44ページ)
『シューベルトのこわばった表情が、単に緊張のためだとわかると、私は冗談のつもりで、
「歯でも痛いのかね?」
と訊いたが、ちっとも面白くないことに気づいて、わが身を呪った。』
こちらが原作の抜粋。
相手が少年ということもあり、対人にそれなりの気を利かせようとするが
完全に失敗するベートーヴェンの姿が可愛い。
コミックスではチェルニーが一応の指摘をしてくれたが、原作はノンフォローである。
次の話題に入るまでの短い刹那、ベートーヴェンがずどーんと暗くなったところを
想像すると、それもまた可愛い。


階段を降りると、楽屋口で若い娘達に囲まれているチェルニーを怒鳴りつけた。
「カール! そんな女たちなんか相手にしてると、水銀の世話になるぞ!」
  (中略)
「そういえばさっき水銀がどうとかいってましたね、何のことです?」
「梅毒の薬さ」

(コミック1巻、116〜117ページ/原作文庫、56ページ)
これは場面が分かりやすいように原作を抜粋。
ベートーヴェンとチェルニーの活躍する短編集「ベートーヴェンな憂鬱症」では
ベートーヴェンにも美少年と言われ、モテていたチェルニー、ここでもチヤホヤされる。
しかしこれから十数年後の物語でもチェルニーは独身のままだ。
人生、どう転ぶか分からないもんである。


「愛弟子のチェルニーとシレーネ嬢だ」

(コミック1巻、119ページ/原作文庫、58ページ)
急病の劇場支配人を見舞いにスウィーテン男爵家を訪れた際、
屋敷の執事に若者二人を紹介したベートーヴェンの科白。
コミックスだとチェルニーが「愛弟子〜v」と手書き文字で喜んでいる。


「パパゲーナ愛しい人よ パパゲーナやさしい小鳩よ」
「そんな服装をしていると猟師に狙われるぞ」

(コミック1巻、122ページ/原作文庫、59ページ)
スウィーテン男爵家にて、ベートーヴェンとチェルニー。
チェルニーが『魔笛』のパパゲーナの衣装を着て現れる。
数年前、コミックスを立ち読みしたとき、一番印象に残った場面。
是非コミックスで。チェルニーは天使なのか、ガブリエル(@コンスタンティ)なのか、
と数年後の春鮫を動悸、息切れさせるほどに魅了した。
ちなみに原作ではベートーヴェンがチェルニーの歌声に対し
ろくでもない歌声が飛んできた、だの、騒音を発するんじゃない、だの言っている。
そう言えば子守唄を歌っているときも歌はお粗末だとか言っていた。
随分けなされている。


チェルニーが地下室から、私の好みそうなワインを三本選んで来た。
ちらりと盗み見て、それがいずれも高価なものであることを確認すると、
私はわが弟子に満足した。

(コミック1巻、126ページ/原作文庫、62ページ)
原作より。
劇場支配人がオペラの原稿をそれ以上書くことができなくなったため、
作曲料の手付としてワインをもらうことになるベートーヴェン。
コミックスでは
「またえらく高級なモノばかり持ってきたな」
「いい弟子でしょお」
と手書きの文字で会話している。
漫才以外でも結構、息がピッタリのコンビのようだ。


高音は心許ないが 通常の場合低音を聞き取ることはできた
だが最近では その低音も時折 脳に届かないこともある
くだらない雑音を聞かずに済む静寂は喜ばしいと言えるだろうが
これでは殺し屋が背後に近づいても 一刺しされるまではわからないわけだ
「そんなに見つめていても増えませんよ」
「……… なんだおまえか おどかすんじゃない」
「いやだな さんざん呼んだじゃないですか」
「そうか…呼んだか」

(コミック1巻、133〜134ページ/原作文庫、65ページ)
ここはコミック演出の勝利と言いますか。
背後から近づいてくるチェルニーの影と、その存在に気づいたときの驚き、
視覚的効果と、チェルニーの呼ぶ声の聞こえなかったベートーヴェンの
苦さを殺そうとする表情が好きであります。


「カール。何か隠しているな」
「そう見えますか?」
「お前の師匠は、目は確かだ。近眼ではあるがね」
「困ったな」
「ひとつ、頼みがあるんだが」
「なんです?」
「国外へ高飛びするなら、演奏会の後にしてくれ」
チェルニーはコーヒーをゆっくりひと口、啜った。
ふた口目も悠然とカップを傾けた。しかし、三度目には吹き出した。
私たちは睨み合ったまま、テーブルを叩いて、不気味な笑い声を発した。
「ぐははは」
「あははは」
「わはははははは」
「ふはははははは」
「別におかしくはないぞ」
「そうですね」
むせながら、彼は顔をひきしめた。
「僕を犯人だと思ってるんですか?」

(コミック1巻、138〜140ページ/原作文庫、69〜70ページ)
コミックも原作も大好きなくだり。抜粋は原作より。
コミックスはコミックらしく、原作は活字らしく楽しめる、師弟の掛け合い。
ちなみにコミックスはここで一話終わっており、雑誌掲載時は、
読者の何割かがやきもきしたんだろうなーと推測。


「なにしろ彼は、モーツァルトの音楽は生きる希望だとまで評して、
愛好していますからね」
チェルニーの言葉に私は頷いた。その讃辞は誤ってはいない。
「だが、あのちびた茸みたいな少年は、今、君達の目の前にいる作曲家を
崇拝しているのではなかったか?」
「畏怖している、といいった方が正確でしょうね。先生の音楽には、
いやに喧嘩腰のところがありますからね。モーツァルトと同列で語れませんよ」
「これでも愛らしく、さわやかな曲を書いているつもりだがね」
「師弟で議論するのは、帰ってからにして頂戴。こちらの話は、まだ終わってないのよ」
「そうだ。楽譜の話だ」

(コミック1巻、156ページ/原作文庫、81ページ)
ベートーヴェン、チェルニー、シレーネの三人が、謎を解く鍵は子守唄にあり、
と議論している最中に、シューベルトの話題が出て、師弟の会話は脱線してしまう。
シレーネは置いてけぼりである。
ちなみにもっと本格的な作曲議論を短編「わが子に愛の夢を」で交わしている。
そっちは専門用語もポンポン飛び出し、より勢いを増している。

ちなみに、コミックスでは最後の科白を、ベートーヴェンとチェルニーが同時に発している。
そういう小さな演出が好きだ。


…このへんでコミックス1巻終了。
→2巻へ続く