#撮った写真を置いたら

文字書きさんや絵描きさんが

何かをつけてくれる




あなたが最後に触った物に私も最後に触ろうと思う。だから毎朝、白い息を吐きながら上ったコンクリ階段の先、まだ眠る線路に背を向けて、続く三百メートルの金網を撫でる。掌。夜が明ける前に帰るって言った約束が、ここへ来るとまだ守られる気がしてる。私も毎朝帰る。夜の明ける前。電車を待ってる。

雨降るっつってたのに詐欺じゃん?てゆか、街灯ついてさあ、ビルの中で社畜さん達がお仕事しててさあ、もうすぐ夜景の始まる時間でしょ。何で今から朝が来るみたいな色してる訳。一日が永久に終わらなさすぎてワンカップでもなきゃやってらんねえんだけど…おっ、でかした兄弟よ、一口兄ちゃんにくれ。

陽の暮るる。空を歩んで帰る者がいる。踏む雲もないのに器用なもんだ。「光線の梯子を踏めばいいのさ」だと。夜へ向けて渡す梯子かあれ。こちらは街灯に登るのさえ四苦八苦だ諦めてビルの下、煙草を呑んでおる。ぽつぽつ点り始めたのを踏んで行く、あれは兄弟か。よく似た顔が黄昏を踏んで遊んでおる。

足を痛めたと。兄が珍しく嘘をついた。壁に凭れ口中にぶつぶつ呟く。魚影ではない。人の影。十三、十四。眇む眸が皮肉を呟く。あの青が真実の世界だ、影人間なぞ階段を上って陽を浴びれば溶けて消える。十五。僕もカウントされた。十六。自分まで。影人間のまま幽閉を求めて足を挫いたのですか、兄よ。

徹夜で籠もった熱気を窓の外に逃がせば、紫煙に濁った部屋と曇った窓では気づかなんだ、通りの向こうの屋根がしんと暗い、つまり払暁の空を見たということである。だらだら続く牌の音を背に煙草を呑めばニコチンを乗せて全身を巡る血の色も雲を染める暁の色か、とぞ。欠伸の間、誰かが煙草を掠め取る。

お願いされたり許可されたり或いは禁じられたりと、ここにある看板の幾つか自分用に設置してみたいものである。コンクリの砕けた灰色の砂利を蹴り、過ぎてはみるものの。誘うようでいて命令に違いない。促された右折の果ては饂飩屋なり。釜玉一つ注文。刹那、安全メットの集団が一斉に注視。ぎろっ。

瞼を閉じても星の輝きを感じた。青白く燃える焔が自分の鼻先や左の頬を照らす、冷たく静かな匂いがした。音もなく、悲鳴さえ飲み込んで燃え上がる焔を思い、彼は微かに笑った。ほんの微かに唇に刷かれたそれを、しかし星は浮き立たせる。今にも名前を呼びたい、と持ち上がる厚い唇に冷たい光を落とす。

誰もいなくなった日のために、準備をしなければならない。晩秋らしい午後の斜光を遮る者はなく、私は手を離した友達の数を数えた。彼らに鎮魂歌を。明日の吾に慈悲を。次の街が閑かでありますよう。人を殺さずにすみますように。空っぽの線路をナイフで叩く。最初にお前の血を吸った時と同じ音がする。

食べてもいい、と暗い呟きに振り返る。春を告げる陽が清浄な室内に淡く射し、枕辺の薔薇が光を孕む。若白髪の後頭部を痩せた手が憮然と撫ぜた。折角の見舞いじゃないか…。取りなす半ばで、手向けだ、と暗然たる声。つい苛立つ。ぐしゃり。手の熱に砂糖が溶け溢れる。唇になすり、馬鹿、と呟けば甘い。

このコロニーはよく出来ているね。リオは樹木と一体化した隔壁を撫でた。あと百年は保つよ。若い科学者は曖昧な微笑を浮かべた。リオの算出した数では不安なのだ。灰色のコートが生体隔壁に滅びの風を呼んでいるのではとも疑っている。介さず、根が血管のように浮く壁に頬を寄せ末期の太陽を見上げる。

寝そべって見上げる空の色さえ、もう青くは見えない。花の色は激しすぎて今にも空に溶け出しそうだ。総ての色の光が混ざった時、世界は白く染まる。あらゆる区別は失せて、世界と僕だけになる。「おい」ピンクの靄が乱暴に呼んだ。僕は無視をする。沈黙…。ぬるい雨が降った。口の上にぬめる。重たい。

すれ違って行こう。同じ色の制服が言った。明るい冬の空を影が行く。声もなく数多の鳥影が東を目指す。はらはら解き放たれて、さっき破いた手紙みたいだ。愛なんて言葉は僕らの身に余る。帰り道の寒さなら受け入れられるけど、太陽を抱き締めるなんて無理なのだ。手がすれ違えば今でも照れるのになあ。

昨夜の聖堂火災で燃えた水ピアノが細かな破片になって水辺まで崩れ落ちている。対岸に住むGが今朝現像したばかりの写真には聳える斜面に凍てつく銀色の痕跡が写っている。更に川上まで歩くと生きた破片が見つかった。透き通ったパイプが破片と共鳴してる。河原にカルミナの荘厳な音が溢れ返っている。




2017.1