夏風サイクラー






「帰りに…」
「え?」
「待ってろ」
 十文字はそれだけ言って背を向けた。ヘルメット越しにはギリギリでしか聞こえない音
量で。アイシールドの淡い緑色の景色の向こうで十文字の歩く背中はどこかヤンキーっぽ
さを残している。後姿の哀愁、みたいな。
「カッコイイ歩き方、したい」
 意識せず呟いた言葉を耳ざとくモン太が聞きつけた。セナはアイシールド越しに目を合
わせ、短く嘘を吐く。
「進さんみたいな」
「突然だな」
 言った後で嘘ではないと気づく。ああいう格好良い(カタカナとはちょっとニュアンス
が違う)男にはなりたいと思う。そこで二人並んで日暮れのグランドを胸張って歩く。い
つの間にか隣に小結がいて同じく胸を張り、一言。
「ブフー」
 ヒル魔が呆れた顔で見ている。


 部室に誰も残っていないのを確認してから外へ出る。校舎の陰からちょっと頭を出して
裏門を覗くと、待ち侘びたかのような十文字と目が合う。
「あ…」
 セナが愛想笑いに表情を固まらせようとするところを十文字の一言が解き放つ。
「遅ェーよ」
「あっ、ごめん」
 と、校舎から離れ走り出した脚が、一歩、二歩とスローダウン。
「あれ?」
「…………」
 セナの発した短い感嘆詞に十文字の顔がみるみる赤くなる。彼の手にしているハンドル
はいつもの原付のものではなく、荷台付きのボロな自転車だ。
「…乗れよ!」
 大きな声なのに、セナは驚かなかった。怖くもなかった。ただ少し笑いがこみ上げたの
は隠して、後ろに寄った。
 十文字の脚がアスファルトを蹴る。セナは両手で荷台を握り締める。自転車は最初少し
左右に揺れて、やがて真っ直ぐに走り出した。十文字がわざと前屈みになり、セナと背中
を触れさせないようにしている。セナは後ろから前へ流れていく景色を眺める。同じよう
に背から吹いてくる暑い風。残暑は厳しい。
「…喉渇くね」
 と、ブレーキの音がした。十文字がむすっとしたままブレーキをかける。前を振り返る
と(変な言い方)自動販売機が見える。が。
「あ、いい。いいよ」
「はぁ?」
「もうちょっと走ろう」
 セナは後ろに顔を戻し、笑った。
 阿隈街道、前途良好。スピードの落ち着いた自転車の上で、セナは暮れなずむ空を見上
げる。背中が触れた。広いな、羨ましい。たとえ不良っぽい後姿だって。
 そのまま自動販売機を七つ素通りした。






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