Your hand / My blood






 鼻の骨に、強く硬い痛み。鼻血の味を思い出した。喉の奥から口の中に流れ込む錆に似
た苦い味。その瞬間、乾いた大地も、自分たちの走ってきた道も視界から消え、ただ夕日
をバックにその姿だけが焼き付いた。
 大きく肌蹴たシャツ。汗に濡れた胸。獣のような息に上下する喉。
 この十文字の姿を見たとき、セナは鼻を殴られた気がした。いや、事実入学早々殴られ
たあの感触を思い出したのだった。
 舌の上に蘇った血の味にセナは当惑した。何故、真剣な眼差しの彼を見て、全く反対の
ネガティブな記憶を思い出すのか。

 ――節穴じゃねーぞ

 あの瞬間、二人の関係は再び変わったのだ。十文字はアイシールド21の中の小早川セナ
を見つけだした。セナの中のアイシールド21を見抜いた。
 空港であの一言を聞いたとき、体の奥を不意に指で触れられた気がした。かつて自分を
拳で殴り、傷つけた手が、容赦なく、しかし全く悪意とは違う感情で自分に触れた。
 もし日本に帰れたとして、もう自分たちはあの日のようにコンビニで顔を合わせアイス
を買うことはできない。セナの感じた予感だった。
 十文字の目が開く。疲労でかすむらしい目が細められ、何度も瞬きをして、開いたとき、
セナを捉えた。
「…セナ」
 この声はきっと自分の中のどこまでも探る。
 タオルを手渡す。中指の指先が十文字の手の甲に一刹那、触れる。
 この手が殴ることはきっとない。しかしその内、殴られたことさえ懐かしくなる場所に
きっとこの指が触れる。心の一番柔らかいところに。
「サンキュ」
「ううん」
 セナは鼻を押さえた。
 痛みさえ懐かしい。血の味さえ。このままでは何か言ってしまう。
 思ったことを、そのまま口に出してしまいそうだ。
 そんな怖さが喉をついて、随分遠くまで来たねぇ、感傷じみた言葉で誤魔化す。
「遠く?」
 十文字が独り言のように聞き返す。
「まだまだだ」
 セナは強く願った。絶対皆でラスベガスに辿り付くんだ。
 絶対に、絶対に!
 セナは鼻を押さえたまま、夜の始まる空を仰いだ。
 






夜空ノ向コウ。

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