蜘蛛と蝶のジングルたまたま原付のガソリンを入れる時財布が見つからなかったものだから、尻のポケット に突っ込んでいた諭吉で払った。ら、釣り銭が多くてポケットに突っ込むにも不格好な膨 らみができたから、十文字は機嫌悪くしながらソンソンへ向かった訳である。煙草の自販 機でもあればよかったんだけどね、しかし巷間に溢れるベンディングマシーンに出くわし ていたら何もこんな話はする必要なかった訳だ。 かくして十文字は原付を店の前に停め、ソンソンへと足を踏み入れる。と、すぐにその 光景は目についた。財布がうまいところ見つからずおたおたと鞄の中を探る元パシリ。お 客様は神様のサービス業店員にさえ謝り倒すあの物腰の異常なまでの低さと弱気すぎる態 度は今でもパシリ体質十分だが、今はそうやって手を出せる相手ではない。 とんがった黒髪がひょこひょこと動く。十文字は店に足を踏み入れた格好のまま佇んで いたが、やがてその眉間に皺が刻まれた。 じれた。 今にも、鞄の中を探るあの手をひっ掴んで外へ飛び出してしまいたかった。 苛立ちの指先が探るのはポケットの中。既に捨てたはずの煙草を指先は無意識に探す。 が、その手指の先に触れたもの。膨らんだポケットの中で鳴った可愛らしくも重い金属質 のチャラチャラ、チャラ。 大股数歩でレジの前に到達した十文字は誰の目も見ずに小銭をレジに叩きつけた。チャ リーンと跳ねたそれをその黒髪のチビと店員が拾う間にくるりと踵を返す。 「あ…待って」 後ろから声が追うが待ちはしない。自動ドアが開くその数秒の間さえもどかしく外へ出 る。 「待って!」 声は尚も背中を追った。十文字は無視して裏道を原付で去ろうとしたが 「じ……十文字…くん」 耳慣れぬ声だった。あの自信なく揺れ気味の声が自分の名前を呼んだ。 「あの…あ、ありがとう。これっ、今買ったんだけど」 十文字は鍵を回す手を止め、仕方なく振り向く。 セナが立っていた。首をすくめ気味に、少し上目遣いで、プラスチックのカップを差し 出している。 いつか買った、カチ割り氷のカップ。 十文字はしかめっ面のまま奪うようにカップを取った。今度こそ背を向ける。しかしそ の声は容赦なく十文字の耳に届いた。 「また…明日!」 夏空の遅い夕暮れは、気分のよさと共に原付をいいスピードで走らせる。夕風のあまり の爽やかさに十文字は頭をぐらぐらさせた。油断すれば脳裏に浮かぶあの顔や、背中が覚 えている言葉。あまりの気持ちよさに飲み込まれそうな自分に焦る。 十文字にできたのはカップの氷を奥歯で噛みしめ、いよいよ顔をしかめることだけだっ た。 |