MY ONLY ELEMENTS




 眠る前に何処かにでかけようと月が言った。
 死神は何処へと尋ね、人間はその顔の上に自分の名前と死に至る時間を
ぼんやりと纏わりつかせて笑う。声に出さず。微笑がその頬に残った。
 カーテンを開けて、窓をほんの少し開けて夜気を呼び入れる。十二月の
冷え切った空気が人間の微かな体温に温もっていた部屋を掻き乱した。サ
ッシに背を凭れて月光を背中に受ける。死神は月光の届かない闇の中に凝
っている。
「何処へも行かないんじゃないか」
 闇の中から声がする。至極単純な可笑しい、という調子を込めて。
「だって人間は嘘を吐く生き物だから」
「ライトが俺に嘘を吐く?」
「嘘を吐いたつもりはないよ」
 小首を傾げて闇の中を覗き込む。似たような首の傾斜角で死神も月光を
背に黒く塗りつぶされた顔を見ている。
 月は曲げていた膝を伸ばす。伸ばしきると爪先が闇に呑まれた。
「こっちに来ないか?」
 爪先を眺めるように、項垂れる。
「…変な声だ」
 死神が不可思議そうに一言、言った。
「だって…」
 月は口を噤む。眼の裏にあの影が焼きついている。眠る前の疲れた目に
焼きついた、黒いノートの影。発火装置の上に眠る。
 僕のノート。
 元、死神のノート。
「リューク」
「ん?」
 月は腰を浮かせた。膝をつき、四つん這いになって闇の中に手を伸ばす。
 指の先から、闇に呑まれてゆく。
「リューク」
「…どうしたんだ?」
 背を伸ばす。
 腕が呑み込まれ。
 鼻先から、闇の中へ。
 銃で撃たれたというのに、もうその痕跡もない額。
 指はその数センチ上で止まった。
 僕はリンゴ一つ分の距離さえあれば十分なんです。満足なんです。
 今更欲しいものなんてありはしない。
 縋る相手などいなくてもと決めたのは、
「リューク」
 この目の前の死神が現れたからでした。
 だからと言って。
「はは……」
 縋ろうなんて、思ってはいないさ。
「ライト?」
 死神の顔は目の前にあった。月は僅かに眼を伏せた。
 視覚に認識されるためには光が必要だ。
 音の三要素は音圧、周波数、音色。
 月光を背にした薄闇の中にも、死神の姿は明確に現れた。
 その声は自分の名を呼び、しかし世界中で自分にしか聞こえることはない。
 この世の、誰も、誰も、誰も、誰も。
 唯一、この姿を見た者も、今日の正午前には殺してしまったのだから。 
 僕だけの姿。
 僕だけの声。
 僕だけの音圧、周波数。
 音色。
「ライト?」
 今夜は眠れない気がしたんだ。