MY FIRST




 三日ほど寝ていない。初体験の失敗がこれほどまでに尾を引くとは思わなか
った。そしてこの数年で少しは図太くなったと思った神経が、意外にもひょろ
ひょろと細いことに微かに絶望したのも事実である。太郎は伸び始めた髪をか
き上げ、書庫の移動梯子の上でぐったりと本棚に凭れた。
 高校二年といえば、いかにも青春の十七歳であり、デスノートを手に入れて
五年目、死後の世界を垣間見て五年後。身長がぐんと伸び、丸かった頬がシャ
ープに形を整えられ、苛められていた時とは違う達観気味の笑顔が口元に浮か
ぶ自分は、人生変わったという自覚が板についたと思っていたのに。この図書
館の狭い書庫の鍵だってくすねて合鍵を作り、いつでも忍び込めるようにした
のだ。かつての自分では考えもしなかった悪巧みを易々と実行したと、これは
自負でさえあったのに。リュークは隣の本棚の上にごろりと横になっている。
 初体験の失敗は、全面的にこの死神にある、と太郎は考えようとしている。
自分が早いかなんて考えたことはない。ただ彼女と繋がる前に達してしまった
のは、確実にリュークのせいだ、と思い出すたびまた動悸が速くなる。
 いちいち耳に吹き込まれる言葉。折角両親のいない日に家に呼んでも、自分
には死神と言う監視者がいるのだ。彼女が服を脱ぎ、自分が服を脱ぎ、恐る恐
るキスをし、ブラジャーから出てきた白い乳房に初めて手を触れ……。行動の
都度、死神はそれを詳細に太郎の耳に囁く。
「もう勃ってるぞ。興奮してるんだな、太郎」
「彼女は目を開けてるぜ、舌、入れなくていいのか?」
「下には触らなくていいのか、手がうずうずしてるじゃないか」
 このままでは彼女の肉体に興奮して達ったのか、リュークの言葉責めに達っ
たのか分からない。と言うか、後者の可能性があるという時点で既に太郎は絶
望の淵にいる。
「リュークのせいで…」
 太郎は力なく呟く。
「僕は変態だ」
「その方が面白いじゃないか」
「…リュークがな」
 深く溜め息をつき、本棚に額を押し付ける。
 ふわりと埃くさい空気が舞い上がって、リュークが背後で羽ばたく気配がす
る。
「拗ねるなよ」
「…拗ねるとかいったレベルの話じゃない」
「落ち込むなよ。太郎、色っぽかったぞ」
 梯子がぐらりと揺れた。最初地震かと思ったが、すぐに動揺した自分が本棚
から手を離したせいだと気づいた。
「わっ…あ……」
 梯子が反対側の本棚にぶつかる硬い音が壁に反響した。太郎は目を見開いた
ままそれを見ていた。学生服の長い足がぶらりと宙に浮かんでいる。
「落ち…る…」
「悪い悪い」
 死神は物を抱えるような不安定な抱き方から、自分の肩に背負うように太郎
を抱きなおした。黒い羽が鼻を擽る。太郎は両手でリュークの背中を叩いた。
「下ろせよ」
 答えぬ死神の背中をもう一度叩く。しかし身体は宙に浮いたままだ。
「…色っぽかったぞ?」
 囁くようなリュークの声。背中をなぞられる。太郎は思わず黒い羽を握り締
めた。
 死神がいつものように楽しそうに笑った。ようやく床の上に下ろされたとき、
太郎の腰は抜けていた。罵詈雑言は喉まで出掛かっていたが、太郎は結局俯い
てまた深い溜め息をついた。
「太郎」
 楽しそうな声が呼ぶ。それから六度、間を置いて名前を呼ばれた。六度目に、
とうとう太郎が根負けをした。ゆっくりとリュークの胸に凭れかかると羽の揺
れる柔らかな気配がした。目を瞑れと言ったが、瞼がない。仕方なく、見てい
る下で下唇に自分の唇を押し付けた。
 これが最初のキスだった。