SALOME




 ―――お前の體に餓ゑてゐる。

       (『サロメ』 ワイルド作・福田恒在訳/岩波文庫)




 欲しいのが何にも増して奴の命。そこがLとキラの最大の違いかも
しれない。Lはキラの命が欲しいのではない。キラの姿を白日の許に
引きずり出し、裁くのが望みである。いずれ行く先は死刑台だが、し
かしLの手がこの命を欲しがっているのではない。しかし僕は欲して
いる。何にも増してLの命。その命をこの手で断ち切ることこそ望み
である。
 何としても欲しい。奴の名前。ユダヤの王女は何度その名前を繰り
返しただろう。愛しげに連呼し、侮蔑と共に唾棄しただろう。わたし
はおまえの口に口づけするよ、ヨカナーン。僕にも名前を呼ばせてく
れないか。その名前一つ、それだけでおまえは僕のものなのに。この
ノートの一ページはその為に存在する。お前の名前を待っている。
 わたしはおまえの口に口づけするよ、ヨカナーン。その為ならば好
色な父の前でヴェイルの踊りも踊ってみせた。ならばキラは何をして
みせようか。その為に新世界は僕に何を所望する。欲しいのはLの命。
それを得る為に裸足で血の上を踊ってみせるなど、今だって踊り続け
ている、血に濡れているのは足の裏だけではない。さあ、僕は命を賭
して踊っているよ、屍を作りながら。
 ヨカナーンは水槽の底に潜んでいた。おまえは何処にいるのだろう。
匪徒の群れから隔絶されて、同じ空気は吸わず、聖者然とでもしてい
るのだろうか。いいや、何処にいようが構いはしないのだ。まだ雪の
降り出す前の話。きっとおまえの正体を知るのは早いと僕は思った。
けれども違ってしまった。もう春が来る。淡い色の花弁が道に散って
いる。けれどもおまえは暗く寒い場所で僕に対する呪詛を吐き続けて
いるんだろう。テレビのスピーカーから聞こえてきたおまえの声は、
今でも耳の底の冷たいタールの湖のように満ちている。
 早く誰か銀盆を持ってきてくれ。首は僕が直接盆の上に乗せよう。
血を流し瞼を閉じたLの首は、自ら銀の盆に載せよう。僕はおまえの
名を呼ぼう。それから冷たい舌に齧りつこうか。それを最高潮にこの
世界は終わる。新世界がやって来る。おまえの首は最後の手向け。唇
はきっと、苦いに違いない。でも僕はおまえに声をかけてあげよう。
おまえのように呪詛は吐くまい、美しい言葉で満たしてあげよう。そ
れ程に僕の身体も悦びに満たされるのだ。
 ああ、妙に冷たい風が吹く。冷たい風を呼んで羽ばたく音が聞こえ
る。誰も気づかない。誰も聞こえない。僕にだけ聞こえる。闇のよう
に黒い唇が耳元に囁く。
「その女が楯の下に押し殺されたのを俺は、見た」
 一条の月の光が照らし出す。クレセントの如く裂けた唇に、僕はそ
っと自分の唇を寄せた。