カウボーイは冷たい指の愛人







「興奮するな」
 自慢のスーツをしわくちゃにした手が尚も自分の胸を掴んで離そうとしないのを見下ろし、ソロは溜息をついた。こちらは抑えているのに、これだから我慢の利かない坊やは。本気を出すしかない。初対面ではこちらが敗北の一歩手前まで追い詰められたが、今のクリヤキンはあの日の冷静なスパイではない――いや、あの時も冷静ではなかったのかな? まるで再現だ。
 安いベニヤの壁を突き破り冷たいコンクリートの床に重たい肉体を叩きつける。重量があり、凶暴。しかし今、人間としての思考は飛んでいる。獣を相手に、ならば勝つ術をソロは心得ている。
 背中から叩きつけられクリヤキンは動顛している。その身体を抱え上げ――重たい身体だが、俺も興奮しているのか、随分軽く感じるぞ――トイレのドアを体当たりで開けた後は勢いをつけて古いホテルの階段を駆け上がる。クソ、これも仕事だろうか。ソ連の獣を調教することも。早いところ引退して存分に甘い余生を過ごしたいものだ。新しくはないが頑丈なベッドの前に巨体を下ろし、ソロは溜息をつく。クリヤキンは立てず、尻をついている。ソロはジャケットを惜しみながら脱ぎ、ベッドに自分の身体を投げ出した。ネクタイを解きながら、クリヤキンがまだ床の上なのに呆れた笑みを浮かべた。
「イリヤ」
 緩んだネクタイから手を離し、掌を見せる。
「一つ教授しよう。聞けよ。トイレなんかでやるものじゃない。こうだ」
 ソロは手で部屋を指し示したがどうにも古い宿で、天井では流行遅れのかさを被った電球が瞬いている。床の上の男と顔を見合わせたソロは咳払いし、こうだ、とシーツの上に掌を滑らせた。
「カモン」
「…お前……」
「カウボーイと呼んでくれないのか」
 クリヤキンは巨体に似合わぬしなやかさでベッドに飛び乗りソロの両肩を押しつけた。
「カウボーイは俺だ…」
「今夜だけな」
 ソロは枕の下から盗聴器を探り出し、見事な精度で電球にぶつけた。電気がびりびりと灰色の電線を立ち上り、日の落ちるように暗くなった。