ウェイン財団主催
ワームウッド緑地化推進計画 プレゼンテーション 広い宇宙に較べたら地球という星は小さな小さなエデンで、メトロポリスもゴッサムシティの砂の欠片ほどの大きさをもたない。そんな小さなエデンの中のちっぽけな悪徳の街だって彼の故郷だと思えば莫大な量の真空だらけの宇宙と比較すべくもなく僕にとっても値千金で、だから困った時は言ってくれよ力になるからさと再三繰り返してるんだけどブルース・ウェインは聞こえないふりをする。お前にはお前の仕事があるだろうスーパーマン、私にも私の仕事があるって言う訳。で、小さなエデンのちっぽけな悪徳の街の地下何メートルだか分からないコウモリの巣でアブサンを傾けながら僕は何度目かの溜息を飲み込んだんだ。 何を言ったって聞きはしない強靱な意志と正義感はそりゃ頑固だなって思うこともあるけどやっぱりブルースの魅力だし、僕は人間っていうひ弱な肉体を持ちながらその意志で悪の心臓を貫く彼が好きなのも事実。ただ十回に一回くらいは僕の言うことを聞いてくれてもいいと思うし、そんないつもしかめっ面でキスに誘わなくったってと思うし、折角強いアルコールが入ってるんだからキスに誘ってくれたってと思うしキスしたい。僕の鼻がむずむずしてるのに気づかないのか気づいていてじらしているのか、ブルースは緑色の液体をグラスの中で回転させ僕をカル・エルと呼んだ。嫌な気配。 「たとえばだ」 グラスが僕ら二人の間を横切り、暗く深い空間へ差し出される。 「深い森があったとしよう。深い深い森だ。地球の半分は覆い尽くす森。私はコウモリだ。獣にも鳥にもなれず深い森の奥底でただ目を光らせている。幼い君を乗せた船はこの星に興味を持たず、更に文明度の高い惑星を目指して航行を続ける。ハッピーエンド」 「ハッピーエンド? 嘘だろう?」 「嘘なものか。一番心穏やかな解決法だ。まず緑地化を推進しよう」 「僕はもう地球に辿り着いているよ、ブルース」 「カル・エル、偉大なる知能の持ち主が人間っぽっちにかまけるなんて」 「悪酔いしたのかい」 「アブサンか。飲むのは何年ぶりだろう。初めてなんだろうか。深い深い森の匂いがする。ワームウッド?」 「ニガヨモギだよ」 「それは学名だ。教えてやろう賢いカル・エル、英語を使う我々の国ではこう呼ぶのだ。ワームウッド」 「気持ちのいい名前じゃないね」 「頭でっかちめ。続きを聞くがいい。ワームウッドは聖なる草だ。楽園を追放された蛇の這った跡にこの植物が生えた」 「楽園を追放されたって、あの? 知恵の実を食べるようにそそのかした…」 「蛇もまた楽園を追放された。君のようにね」 「僕は……」 「君の船が旅した航跡はどうだろう。たくさんのワームウッドが生えたのか。空をこの清々しい匂いのする草が埋め尽くして、私達の宇宙は平和を手に入れたのだろうか…」 ブルースはそこで喋るのをやめた。支離滅裂な言葉はどこからどこまで酔っぱらいの戯言を装った彼の遊びだったのか、はっきりとは分からないけれども最後は彼自身がその遊びをやめたのだ。深い森の奥で目を光らせているコウモリは、獣に嫌われようと鳥に迫害されようと、結局はばたくことをやめないのだ。高性能レーダーのような彼の直感は悪を見つけ出す。そして戦うことをやめない。アブサンの香りが導いたファンタジーも結局そこに帰結するのだ。ブルースはこう言っているのだ。私は戦うことをやめないぞ。これは私の戦いだ、お前は邪魔をするな。ってね。 ニガヨモギの香り。強いアルコール。僕は白い毛に覆われた緑の草を掻き分けて手を伸ばす。コウモリは朝を目の前にもう眠ろうとしている。瞼が閉じて、唇だけ最後のアブサンを飲もうとしている。その、楽園を追放された蛇の軌跡を押し退けて僕はまどろむコウモリにキスをする。爽やかな香りが鼻腔をから吹き抜ける。顔を押しつけるとブルースの瞬きが頬に触れた。 「そのハッピーエンドは地球時間のものだから」 僕も支離滅裂に囁く。 「僕はね、もっと違うハッピーエンドを見つけると思うよ」 「クリプトン時間の。私はそのころ爺さんだ」 「いいじゃないか。素敵じゃないか。僕の船を見て心臓麻痺を起こさないでね」 「ビックリには慣れてる」 優しく顔を撫でさすると爺さん扱いするなとコウモリは目覚めた。 「分かった。付き合ってやる。一回だけだ。私は仕事があるんだ。午後の会議には何としても出席しろとアルフレッドがうるさい」 「分かってる。一回だけだよ。その後、午前中はゆっくり眠ろう」 「どうしてお前まで寝る算段なんだ」 「だって僕も君に付き合って一晩飲み明かしたんだよ?」 ふらふらする身体を支えながらコウモリの巣を後にする。暗く湿った中に草の苦く爽やかな香り。振り向かない間は背後に緑地化の夢が広がっているみたいで、僕は振り返らず、肩にもたれかかるブルースの身体をぎゅっと抱いて彼の私室までの長い階段を上り始める。 |