「トミーの頭の中」のあらすじ

 映画『マルコヴィッチの穴』のパロディ。
 乱暴者の転校生バッキーと狼男トミー、親友マートン、恋人未満ローリーが
 トミーの頭の中で大暴れ。

 頭の中で暴れられると割れるような頭痛がするので、
 その後、トミーはマートンに頭の中を掃除させ、入口を塞がせて、皆、普通の生活に戻ったのでした。







 ペイパークラフト・ハピネス




 その部屋は、白く、柔かな光に満ちていて、タータンチェックのカヴァが掛けられた中
央のソファはほどよくフカフカ座り心地がよかった。所々にぶら下がるポスターの趣味も、
まあ悪くはない。まあトレーニングマシンとダンベルはね、さっきも三角筋のことを気に
してたから。どこが壁なのか分からないけど、浮かんでいるバスケットのゴールリングは、
試そうかと思ったけど、やめた。これ以上トミーを頭痛で悩ませるわけにはいかないから
ね。
 マートンはフカフカタータンチェックソファの上で一冊の分厚い本を今しも開けようと
している。ソファの下に見つけたものだ。それは分厚く、立派な装丁の、アルバム。
 人の記憶を覗き見るのは褒められた行為じゃないけど、いくらマートンとは言え(いや、
マートンだからこそ)これは抗いがたい誘惑だった。
「だって見つけちゃったんだもん。ほら、革張りの表紙が早く捲ってって言ってる」
 表紙を指で磨くとキュキュと音がした。
「ほおら」
 マートンは無邪気に笑う。
 しかしトミーが気づいた様子はない。目の前のスクリーンに映っているのは緑の芝生萌
ゆるフィールドだ。パス練習中で、集中してるみたい。
「見ちゃいます!」
 大声で宣言し、開く。
 ガバリ、と引っ付いたページの剥がれる音が響いて現れた一ページ目。
「わーお」
 マートンはぷうっと息を吐いて、ちょっとした驚きを表した。
 一ページめには隙間を潰すように大小様々な写真が、折り重なるように、実に乱雑に貼
られていた。おしゃぶり。小さな指。ぬいぐるみの尻尾らしきもの。ベビーフード。ド真
ん中にはこれでもかというアップで写されたトミーの両親の笑顔。
「赤ちゃんのトミーには、こう見えてたんだ…」
 成長していくにつれて写真は整理されるようになる。必要な記憶。楽しかった思い出。
思い出したくない諸々。字のないフォトストーリー。
「……おいおいおい、ちょっと、トミー」
 今の年齢に近づくにつれ、マートンは頬を膨らませ息をぷうっと不満げに吐き出した。
「僕の写真より、ステーシーの写真の方が多いじゃない」
 とある一ページの真ん中に一枚だけ貼られた狼の写真。それを境に、マートンにも馴染
み深い写真が増えてきた。しかし事件を一緒に解決した自分よりも彼女の写真の方が多い
のは何事なんだ?
 が、次々とページを捲り、そりゃ慌てて全ページを捲り終わり、マートンはとうとうト
ミーがあの地獄のような頭痛を引き起こすのも忘れて、アルバムを放り投げた。
「しかもローリーだらけじゃない!」
 そう、ステイシーの写真など比べるに値しない。ローリーの写真の数が断然、断然に多
かった。しかもいよいよマートンの写真は少ない。ローリーは笑顔も膨れっ面も、甘い顔
も、悪戯めいた微笑も、あらゆるアングルの、あらゆるカットを写してあるのに対し、マ
ートンは心からしょげるほど、アレだ。
「少なすぎない…?」
 惨め。
 後ろで鈍い音がした。アルバムが落下したのだ。途端にトミーの悲鳴が響く。
『マートン!』
「あ、ごめんごめん、何でもないよ」
『何でもって、……今度掃除で入るとき以外は、もう侵入禁止って言っただろ!』
「だからそれの下準備だってばぁ。怒んないでよ。迷惑かけないから」
『十分にかけてるよ…』
 スクリーンの向こうでトミーは相手のレシーバーに謝りながらパス練習を再開する。
「…………」
 マートンはソファの裏に落ちたアルバムを丁寧に元の場所に戻すと、ぽすんと膝を抱え
て小さくなってタータンチェックの座り心地の良いソファに座り込んだ。ふわりと甘い匂
いが鼻を掠める。服に張り付けたマシュマロのせいだ。それを一つむしり取って口の中に
放り込む。
 むしゃむしゃとマシュマロを噛みながら、マートンはトミーと同じ景色を眺める。
 そりゃトミーが今もローリーにぞっこんなのは分かっている。自分だってローリーは大
好きだ。メドゥーサに石に変えられる前は、どんな成り行きであれ、キスを交わした、大
切な恋人未満の大事な女の子。
 分かるけど、寂しいさ。
 バッキーとの乱闘で部屋は思いの外散らかっている。白く光るこの部屋はものが少ない
ように見えて、所によっては埃が積んでいたし、よく見ればゴミも落ちていた。
「散らかし放題じゃ、またローリーに嫌われちゃうんじゃない、トミー?」
 小声で呟き、ソファの足元の紙くずを拾い上げる。それは白い部屋では目立つ、黒い紙
だった。いつからあったのだろう。これだけ目立てば最初から気づいてもよかったのに。
 紙は、厚くはないが、結構丈夫だ。折り目や皺が縦横に走っているのに、どこも破れて
いない。マートンはくしゃくしゃになったそれをそっと開き、
「…」
 ちょっと息を止め、
「……!」
 怒っていいのか、喜んでいいのか分からなくて大声で
「トミー!」
 と呼んだ。
「これ! これ、何っ!」
『おいマートン、迷惑かけないって、今言ったじゃないか。それに、これって……僕には
見えないよ』
「えっとね、その、黒い紙が落ちててさ、で、で、僕の名前が……」
 マートンは不意に口を噤んで、もう一度手元の紙を見た。
 それは手書きらしいマートンの似顔絵と、名前。
 マートン。
 と、足元にまた同じような紙くずが落ちている。
 広げれば、同じような似顔絵。ただし今度は些か憎憎しげに描かれている。そして、マ
ートン、という名前。
「…これは、今、現れた」
『何が?』
 トミーの声はイライラしているが、マートンは構わず続ける。
「君は今、僕のことをちょっと邪魔だと思った」
『かなりね』
 また落ちている黒い紙。新しい似顔絵。マートン。
 マートンは部屋中を捜した。黒い紙はあちこちに落ちていた。そのどれも表情やアング
ルの違う似顔絵と、時には丁寧な、時には殴り書きされた、マートン、の名前。
『…マートン? もういないのか?』
「ごめん、まだいるよ。うん、ただね」
 マートンはそれらを丁寧に皺を伸ばし、順々に見ては重ねた。
 それは一目見て、いつ描かれ、どの事件のときに描かれたものか、マートンには分かっ
た。
 憎らしい顔でぐしゃぐしゃと丸められたものも多かったが、同じくらい笑顔のマートン
も多かった。それらは主に正しく折り目がついている。
「オリガミだ」
 マートンは折り目に合わせて形を復元する。
 一機の紙飛行機が出来上がった。マートンはソファの上からそれを、すい、と宙に滑ら
せた。黒い紙飛行機は一回、二回と部屋の中を旋回して、マシュマロの匂いのようにふわ
りと着地する。
「ふうん……」
 マートンは、ちょっと、笑った。
「ねえトミー、今、どんな気分」
『気分? 特に』
「今なら、パスの最長記録を出せそうじゃない?」
『どうして』
「いいからやってみてよ」
 マートンは特上の笑顔の書かれた紙飛行機を構える。
 トミーの右腕が上がる。その腕が振られた瞬間、マートンも紙飛行機を放した。
 ボールは青空に吸い込まれるように消える。
「うふっ」
 マートンが笑った瞬間、その身体はソファから天井へ向かってスポンと消えた。
 黒い紙の束がふわり、と舞って、その上に紙飛行機は空から降ってきたかのように、す
い、と着地した。




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