30代編 5







「ここは、いい所ですね」
 シルバーのメルセデスベンツから降りた西原誠司は、開口一番にそう言った。
「魂の洗濯をするにはもってこいだ」
 木立の間から爽やかな朝日が射す。森はしっとりと、そして胸に通る緑の匂いを漂わせていた。ベンツは一昨日黒木のBMWが待っていたのと同じ場所に停められていた。そして紺色のスーツに身を固めた男は、眩しげに朝日の射す空を見上げた。
「西原さん」
 ジンは一歩前に進み出て頭を下げる。
「ご迷惑という言葉では済まないことは承知しています。しかし…」
「…十三歳の君が私に頭を下げることは一度もなかった。それは二十年前既に私と君の関係が対等だったということです」
 肩に手が触れる。
「頭を上げてください、海道ジン君。元気そうで何よりだ」
 顔を上げて見た西原の姿は、彼の言った二十年の歳月を感じさせた。
 サイバーランス社の開発主任、若き野心家であった西原誠司。髪を後ろへきれいに撫でつけ、聡明そうな額の下には意志の強そうな眉と人当りの良さでは隠しきれない若々しい野心を燃やした瞳があった。今はその男の鬢にも白いものがまじり、口元にたたえた笑みは穏やかで現在の地位に相応しい貫禄がある。しかし黒い瞳には今でも若い炎の名残が見えた。少年の目、と言うほど無邪気ではない。大人の男の、更に先を、もっと高みを目指す強い意志のある目だった。
「こういう言い方は失礼かもしれませんが、大人になりましたね」
「いいえ、その通りです」
 西原はジンの手を取る。
「機械を扱う仕事を?」
「はい」
「苦労をした手だ」
 西原の手はいたわりを込めた仕草でそっと離れる。それから、その目はジンの後ろに影のように控えるユウヤを捉えた。ユウヤはその場で頭を下げた。
「初めまして。僕が灰原ユウヤです」
「あの灰原ユウヤ…」
 初めまして、と西原も頭を下げる。
「現在ドイツのエンペラー社でCEOとCOOを務めさせていただいております、西原誠司です」
 昨日ジンは記憶の底にある番号へ電話をかけた。それは正確には二十一年前、サイバーランス社のテストプレイヤーにならないかと持ちかけた西原の個人の電話番号だった。日本で使われていた、しかも二昔前の番号だ。今も繋がる可能性は半分もない。もしかからなければ、リスクを覚悟して懐かしのエンペラー社へ電話をしなければならなかった。
 果たして、十数コールの後に西原は出たのである。現在エンペラー社のトップの椅子に座る男は古い番号を捨ててはいなかった。
 非科学的なものを信じる気はなかったのですが、お守りでしょうか。
 恐る恐る西原かと確認すると、彼はこう言った。
「死んだと思われた誰かがもしかしたら連絡をつけようとするかもしれない。私はそのわずかな可能性にかけたんです。…海道ジン君ですね」
 あれから二十四時間と経っていないのに、西原はもう目の前に現れたのだ。
 ちょうど挨拶の終わった間隙を狙うように、空白のような沈黙が下りた。
 話さなければならないこと、説明すべきことは山ほどあった。それをどのように伝えるか頭の中では何度もシミュレーションしたのだが、いざ分かたれていた過去と対面すると言葉に詰まってしまう。先日訪れた黒木はともかく、西原は本当に懐かしい人物だった。思わず感情が溢れそうになる。
 はは、と笑って西原が木漏れ日を見上げる。
「天使が通ったようだ」
 それから二人を見た。
「電話でも話したとおり、長い話になりそうです。立ち話には向いていない。このホテルもなかなか居心地はよさそうだが…、よければ私の愛車でドライブをしませんか」
「…ご自身の車で」
「君との電話の後、すぐに出発しました。そんな顔をしなくても結構。あの海道ジンが生きているとなれば万難を排しても来るのが当然です。それがエンペラー社の現社長ならば尚のこと。さあ」
 西原はベンツの脇に寄り、後部座席のドアを開けた。
「こうしていると笑顔でかどわかす人攫いのようだが、信用していただけますか?」
「勿論です」
 ジンは頷き、ユウヤを促した。
「だからあなたに電話しました」
「光栄だ」
 西原は嬉しそうな微笑を浮かべた。

 シルバーのメルセデスベンツは一旦北上し、森を抜けてからバルト海沿いの海岸線を走り始めた。自転車で走るのはもっぱら平坦な内地で、海岸線を見たのは南端のそれが初めてだ。今日もバルト海は深く青く、宝石のように輝いている。ユウヤは窓に寄って、それを見つめていた。スモークガラスの透明度の低い視界の中でも、海の輝きは夕闇の中の星のように届く。
 時々バックミラー越しに西原の視線が見守っていた。視線が合う。
「ジン君」
 西原の目が不意に鋭くなる。
「十五年前、別荘を爆破したのは君ですか?」
「そうです」
「調書は何度も読みました。あれをテロだと言う者もいたが少数だ。焼け跡に君たちの死体はなく、あったのは焼け焦げたLBXの残骸だけ。概ね世間に公表されている…正しくは日本の公表した内容が事実として定着しました。海道ジン、灰原ユウヤを拐取し逃亡、とね。最近でこそある程度過去の話として片づけられていますが、ショックは大きかったですよ。日本にいた私の耳にもすぐ飛び込んできた」
「間違ってはいません…」
「今、君たちが一緒にいるところを見るとそうなのでしょう。が、私はまだ君の口からはほとんど何も聞いていません」
 バックミラーに映った瞳が和らぐ。
「君の理由があるはずだ。私はそれを聞きに来ました。世界的に犯罪者とされながら、灰原ユウヤを連れて逃げたんだ、楽な旅のはずがない。君は決してボニーアンドクライドを気取った訳でもない、頭のいい人だ。十九歳にして既に私より上の地位にいた。それを全て捨ててまでの道のりに何があったのか」
 真剣な視線が交わった。
「教えてください、出発の場所から」
「…今日は全てこの話です」
 ジンは頷き、わずかに俯いた。
「CCMスーツとサイコスキャニングモード」
 全ての始まりから、ジンは訥々と、しかし言い淀むことなく話し続けた。
 エンペラー社が日本と共同で行ったサイコスキャニング技術の開発。ユウヤの中に人間らしい感情を認めたこと。別荘の爆破から後、三年間に渡るヨーロッパの流浪。ようやく辿り着いたスウェーデン、イェーテボリでの生活。
「LBXの部品工場?」
「もともと玩具用のネジなどを作っていた町工場です。LBXが普及してからはそれを専門に。軽量、かつ耐久性に優れた部品を、というのにこだわりのある社長で。工場長の腕も素晴らしい。皆、新しいものの開発には熱心で、そういった部品や発注を受けたアーマーフレームでは飽き足らず、最近では独自の武器を開発している」
「それは市場に?」
「出回っていると言えるほどではありません。街の一部マニアな店が取り扱ってくれる程度で」
「君自身、LBXは?」
「あれから二度と」
「しかしLBXからは離れられないか…。事実LBXは産業に深く浸透した分野だから当然と言えば当然かもしれないが」
「未練はありません」
 ジンはきっぱりと言った。
「もう二度と触れなくても未練はない。ただ懐かしくて…、工場の仕事はとてもやり甲斐があります」
「灰原君はどうですか?」
 するとユウヤは振り向き、バックミラーの中で視線を合わせた。
「自転車に乗って郵便を配達しています」
「自転車?」
 面白そうに西原は笑った。
「イェーテボリが好きですか」
「ジン君と十年以上暮らした街です。あのアルテミスの試合を知らなくても、僕の顔を覚えている人が何人もいます。思い出があります」
「LBXは?」
 ユウヤは首を横に振った。
「…その街はあなたがたにとって第二の故郷となった訳ですね。つらい記憶を乗り越えて辿り着いた安住の場所…」
 言いかけて西原は目をそばめる。
「…と思っている顔ではない」
「アルテミスでユウヤとチームを組み戦った青年が二人いたことを覚えていますか」
「同時に日本でCCMスーツ開発を率いた研究者でもある。黒木と…目黒でしたか」
「一昨日、黒木がここを訪れました」
「…それで?」
「ユウヤに、戻って来いと」
「だが断った」
「僕が断りました」
 ユウヤが静かに言う。
「しかしおかしいな。日本でのCCMスーツ開発は凍結されたはずだ。今更灰原君を取り戻して何をしようというんです?」
「CCMスーツの開発者、加納義一がA国で独自に研究を続けた結果、被験者とその家族を含む人権団体から訴えられています」
「カノウ……、そうだニュースにはなっていましたよ。A国で日本人が精神障害者に対して虐待を働いたとして、何重もの訴訟になっていたはずだ」
 虐待とだけ報道されたが…、と西原の眉が寄った。
「例のサイコスキャニングモードですか…」
「加納の研究も裁判によって中断しました。しかし黒木たちはユウヤが法廷に立てばサイコスキャニングモードの安全性を立証できると考えている」
「本気で?」
 心底驚いた声だ。
「私も会場でアルテミスを見ていた。会場が水を打ったように静かになったのを、誰一人息も出来ないほどだったのをこの肌で感じている。逃げ出したいくらいだった。失礼だが…灰原君はあの事故の象徴でもある」
「だからこそです。暴走事故を経てなおユウヤの精神が正常を保っていることを、黒木たちは加納の成果だと示そうとしている。ユウヤに証言する気がなくとも…」
「マッドサイエンティストというやつですね。何をされるか分かったものではない。ジン君も命を狙われるのでは」
 ジンは苦笑してみせた。西原は首を振り、空気を入れ換えようと窓を開けたが、強い海風が髪を乱そうとするので慌てて閉じる。
「少し休みましょう」
 海辺の道路を光の流れるように走っていたメルセデスベンツは静かに減速した。海岸線はまだまだ真っ直ぐ、どこまでも続いている。先日二人で辿り着いた島の南端まで、花咲く浜辺まで、ずっと。
 車から降りると潮風が髪をなぶる。西原は水平線を見つめ風に正面を向くことで、その髪型が崩れるのをなんとか防ごうとした。ジンとユウヤはボンネットを挟んで西原の反対側に立った。
「つまり、こういうことですか」
 水平線を見つめたまま西原が言う。
「君たちが私を呼んだのは黒木某の手から救い出して欲しい、あるいはその黒木をなんとかしてほしいと?」
 ジンが横目に見ると、西原も視線だけを寄越した。
「この言い方は意地が悪かったですね。しかし内容は大して変わらないでしょう。追っ手の目をくらまし次の街へ安全に逃れるためのチケットを用意する…」
「西原さん、僕に失望していますか?」
「君が私の言葉に頷いたらそうしたかもしれません」
 手庇を作り、西原は振り向いた。
「君の目は挫けていない、逃げだそうとしていない。覚悟を決めた目だ。そして灰原君も運命を受け容れているように感じる」
「僕らは、僕らのために人生を生きると決めました」
 隣でユウヤが頷く。
「目の前にどんな道が続いていようと、僕らは二人でその道を行きます。僕らの始まりにあった痛みも哀しみも二人のものなら、イェーテボリでの十年も、この先の未来も全て二人で分かち合います」
「…君たちは一体何を望んでいるのですか」
「言ったはずです、西原さん。今日の話は全てCCMスーツとサイコスキャニングモードの話だ」
 ジンは一歩、二歩と前に踏み出した。舗装道路と海岸に挟まれた湿地では短い草が風になぶられている。
 彼は突然そこに膝をついた。
 ジン君、と呼んで西原が前に出た時、ジンは両手も苔の上につき、頭を下げていた。
「エンペラー社現最高経営責任者かつ最高執行責任者であるあなたにお願いしたい」
 磨き抜かれた革靴が目の前にやってくる。顔を上げると心底驚き、戸惑う瞳が自分を見下ろしていた。ジンはそれを真っ直ぐに見上げた。
「お願いします。エンペラー社でCCMスーツを…サイコスキャニングモードを完成させてください」
「……君は」
「サイコスキャニングモードの危険性は皆が目の当たりにしたとおりです。しかしその威力に魅了される者も必ずいるでしょう。たとえ禁止されても、誰もこの研究を続行しないとは限らない。現実に黒木たちはまだ自由の身であり、開発を諦めていない。彼らはサイコスキャニング技術を人類の進化の鍵だと言う。世迷い言のようだが、それは彼らにとって信念だ。信じる限り諦めはしない。題目が何であれ、不当に心を、人生を奪われる者が現れる。A国の訴訟はその証拠です」
「…僕が今、ここに立っていられるのはジン君のお蔭です」
 ユウヤはジンの傍らに佇み、続けた。
「僕は四歳から十九歳までの間、実験にこの身とこの心を晒されてきました。自分の心があることさえ信じていなかった。サイコスキャニングモードは確かに僕の心を硬化させ、ボロボロに崩そうとしたんです。だけど、ジン君は残った僕の心をすくい上げて、全てを抛ってここまで育ててくれました。僕は心が柔らかいことを知り、普通の人が感じるようなものを一つずつ獲得しています」
「何か方法があるはずです。これまで模索されてこなかったが、サイコスキャニングモードを用いながら心を生きたものとして育てる方法が」
「君たちは…」
「エンペラー社ならばそれをやってくれるだろうと、僕は信じています。社員の技術、能力、志を信じています。そして西原さん、あなたならば信頼できる」
 お願いします、とジンは苔の上に額を擦りつけた。
「お願いします」
 ユウヤは佇んだまま、静かに強くジンの言葉を繰り返す。
「…海道ジン君」
 二人の言葉は西原に冷静さを取り戻させ、理性的にそれを考えさせた。
 海風が髪を乱すのにはもう構わず、西原はジンに向かい合って立った。
「君は分かっていますね。今の自分は犯罪者だと」
「はい」
「犯罪者が企業のトップに頭を下げたところで、それは取引の対象になりません。君は何を差し出そうと言うのですか?」
 西原の目はユウヤを見る。運命を全て受け容れた目をしたユウヤを。
 ジンは顔を上げた。泥が額から落ち、一筋の泥水が額から鼻の横を通って流れ落ちた。
「僕はサイコスキャニングモードが実戦で初めて使われた現場に居合わせました。エンペラー社の社長を務めていた時は日本との共同開発にサインし、毎日毎日そのテストに立ち会い、被験者である灰原ユウヤと十五年一緒にいます。加納義一、黒木や目黒らの研究者の次に、CCMスーツとサイコスキャニングモードについては知っている」
 泥だらけの右手が胸に当てられた。
「僕が被験者になります」
 ユウヤを二度とつらい目にはあわせない。あんな実験にその身を心を晒させるようなことはしない。ジンは約束したのだ。
 西原が絶句していると、ユウヤが続けた。
「僕が監督者となります。僕は世界最初のCCMスーツとサイコスキャニングモードの被験体です。その危険性も、身体や心に与える影響も僕が一番知っています。僕の判断は実験を目指す方向に導くことができるはずです」
 バルト海を渡る夏の風は強く、冷たい層と熱い層が重なり合って激しく吹いていた。西原の髪はもう乱れきっていたが、それ以上に彼の頭の中が様々な情報の波に揉まれ、激しく揺れていた。
 思考をしただけだ。それなのに西原の息は切れていた。まるで激しい運動をした後のようだった。彼は大きく息を吐き、潮の香りのする風を胸一杯に吸い込んだ。
 再び息を吐いた時、彼の目にはいつもの輝きが蘇っていた。西原はジンの目の前に片膝をつき、すっとハンカチを差し出した。ハンカチはジンの汚れた額を、滴る泥水を拭う。
「やはり君は私の見込んだとおりの人だ」
 西原はジンの腕を支え、抱え起こした。
「君が渡欧した時は精々留学程度かと思っていましたが、そこでエンペラー社を起ち上げた時、私は正直悔しくなったものです。まだ少年だと思った君に出し抜かれたと思ってね。同時にその悔しさは一抹の寂しさでもあった。君と一緒に仕事ができたら、どんなに楽しいだろう。開発室は毎日毎日が面白くて仕方ないだろうと」
 あの番号はお守りだったんですよ、と西原は呟いた。
「海道ジンは死んだと思っていた。今ではほとんどの人間がそう思っています。机に入れっぱなしだった昔のCCMが鳴った時、本当に死者からの電話かと震えました。だが君は生きていた。私は会いたかった人に再び会うことができた。……こんな奇跡は生きていてもう二度とないでしょう」
 灰原ユウヤ君、と視線を移す。
「驚きました。まるで別人だ。君は間違いなくスウェーデンの住人、スウェーデンの郵便配達夫です」
 西原は胸に手を当て、二人に向かって頭を下げた。
「お任せください。CCMスーツとサイコスキャニング技術は必ず、我がエンペラー社が完成させてみせましょう」
 ただし、と顔を上げた西原はウィンクをする。
「幽霊を開発室に連れて行くことはできません。私は非科学的なことは信じていないので」
「西原さん、僕らは…!」
「ジン君、それに灰原君、君たちはもう死んだ人間です。死者は安らかに眠らせるのがどの世界でも礼儀であり、安らかにと願うのが私たち人間の素直な感情です。違いますか?」
 くしゃりとジンの顔が歪みそうになったのを、西原が急に抱きしめた。
「ははは、すみません。ドイツ暮らしが長くなって、ハグも自然と癖になってしまいましてね」
 今は執務室に座るが、前線で開発に明け暮れてきた男のがさついた手がジンの背中をぽんぽんと叩いた。
「初めて出会った時、君は十三歳でした。しかし私は心の中では君を盟友のように思っていたんです……これは独り言ですが」
 乱れた髪の下で照れ笑いを浮かべる五十路の男と、その手に懐かしそうにハグされるジンを見つめ、ユウヤは静かに微笑み、強すぎる風にそっと目を伏せた。

 昼食時だと言うのに、ホテルに二人を送り届けた西原誠司は休むことなくすぐ車に乗り込んだ。
「なる前はなりたくてなりたくて堪らなかったのですが、なったらなったで忙しくて暇がない、社長というものは」
 では元気で、と別れの挨拶はあっさりしたもので、ジンとユウヤはホテルの玄関に佇んだまま銀色のメルセデスベンツが見えなくなるまで見送っていた。
「ジン君」
「なんだ、ユウヤ」
「お腹空いた?」
「まあ。…それよりもシャワーが浴びたいかな。汗と潮風で身体がべとついて気持ち悪い」
「僕も」
 先にシャワーを浴びたジンが部屋の涼しさに人心地ついていると、紅茶のポットを持ってユウヤがやって来た。このホテルに来て二人が毎日飲んでいるお茶だ。
 ベッドの上に裸のまま胡座をかくジンに、ユウヤはカップを手渡す。
「ねえ、ジン君」
 カップを持ったまま、ユウヤが額を寄せる。
 どうした、と返事するかわりに額を触れ合わせ目で尋ねる。
 君が、とユウヤが呟く。
「言ったでしょう。どこに行きたいって」
 穏やかでベルベットのような柔らかな黒をたたえた大きな瞳がすぐそばからジンを見つめる。
「僕らの家」
 ユウヤが囁く。
「僕らの家に帰ろう」
 微笑みは近すぎて、ジンの目の中で滲んだ。