名も無き英雄たちの歌われぬ歌







 眠れる獅子を呼び覚ませ!
 重たい倉庫の扉が開き、音を立てて電気が灯る。その下に積まれたダンボールの山。西原は研究員たちを従えて冷たく静かな倉庫に足を踏み入れた。
 ガムテープを剥がす音が響く。そこから出てきたのは新品のクノイチ。その隣のダンボールも、その隣もだ。LBX不買運動の中で返品されてきたものたち。パートナーと出会う機会さえなく、倉庫の暗闇の中で眠り続けたサンバーランス社の子どもたち。
「いけそうか」
「武装が必要です。ただ動けばいい、という訳ではないんですね」
 研究員が尋ね返した。西原は頷く。
「あのベクターが相手だ」
「プレイヤーも必要です。社員とテストプレイヤーを合わせても…三百」
「三百?」
「三百五十。主任も参戦されるなら三百五十一」
 西原はニヤリと笑って研究員たちを振り返った。この主任研究員が研究者としては非常に有能ながらプレイヤーとしては本人も首を傾げる腕前であることは皆が知るところだった。
 タイニーオービットからの打診は思いも掛けないことであり、また同時に何故これまで自分たちも考えつかなかったのか、ということだった。
 力を合わせて共に戦う。
 グランドスフィアの展開に必要なLBXは千体、その護衛に更に一万体。果たしてそれにどれだけ貢献できるのか。この在庫の山を見ても、実動に持ち込めるものはわずか三百五十。この会社はLBXメーカーなのに、何と言う不甲斐なさ! 千体でも二千体でも用意してみせようと言いたかった。
 しかし。
「三百五十…百パーセントの力を出せる三百五十体か?」
「いいえ、百二十パーセントの力を出せる三百五十体です」
「よし」
 西原は手を叩いた。
 周囲の視線が集まる。西原は声を張った。
「各班、打ち合わせ通りに動け。時間は差し迫っている。確かに明日が人類最後の日になるかもしれない。だが私たちもとうとう、彼らと一緒に戦える。山野バン、海道ジン、子どもたちに任せるだけではない、今度こそ私たちの力で世界を守るんだ」
 皆が西原を見つめていた。西原はクノイチのおさめられたダンボールを撫でる。
「夢見た正義の味方になろう。共に力を合わせて戦おう。残念ながら私は後方支援だが…」
 そこでクスクス笑いが起き、そこ、と西原は指さす。
「私が一番に駆けつけたかったんだということを忘れてくれるな?」
「了解です、主任」
「では即刻作業にかかれ。開始!」
 号令と共に運び出されるダンボール、開封され調整されるLBXたち。
 クノイチ。山野バンの友人、川村アミが長く相棒として用いてきたLBX。去年のアルテミスでも素晴らしい活躍をした。
 オルテガ。最初は研究員の趣味に走ったデザインだと酷評されたが意外な人気のある機体だ。今回も研究者の何名もが独自のカスタマイズを施した自前の機体で出る予定だ。
 ムシャ。クノイチと並んでサイバーランス社の定番だ。これまで何体、何百体、数え切れないほどのムシャが出荷され、そして襲いかかる事件の中で悪意に利用され、破壊されただろう。マッドドッグ、フレイヤ、ナズー…。
 どれも本当の出番を待っていた。自分を選んでくれた相棒と共に強化ダンボールのフィールドを駆け抜ける夢を持っていた。これから赴くのは本物の戦場だ。火で焼かれ、焦土となったトキオシティだ。
「この悪夢を終わらせよう」
 調整する手を休めず、西原は目の前のムシャに語りかけた。
「この悲劇を終わらせよう」
 明日、相棒と共に戦地に立つこの小さな戦士に。
「君らは私の希望だ」

          *

 分割されたモニタに映る各国首脳の顔は、もう見慣れたものであるのにそれでも初めて見る顔だとクラウディア・レネトンは思った。
 こんな顔の彼らを見るのは初めてだわ。恐怖ではない。打算でも保身でもない。皆が一つの目的のために動こうとしている。この世界を救うため。それは彼女が何度も何度も呼びかけてきた言葉だった。しかし強大な恐怖を前に彼らの心は濁り、凝り、動こうとはしなかった。
 だが今動いた。
 ――何故なら動いたのが人々だから。
 政治家は民衆の支持がなければその椅子に座ることはできない。この椅子に座るということは信頼の証だ。故に預かった信頼の分の責任があり、それは時に自分たちを臆病にさせる。この椅子から引きずり下ろされるのが恐ろしくて、引きずり下ろされた先で自分がどんな仕打ちを受けるのか、過去この椅子から転落した政治家たちの姿が瞼の裏に映り、様々な言葉でそれを誤魔化す。わが国の利益が…、責任の所在は…、そもそもの原因は…。
 ――今までの私たちは政治家でさえなかった。
 恐怖に怯え目を背ける臆病者。しかしそんな自分たちの目を覚まさせる声が上がったのだ。それは痛みではなく、まるで太陽の光のような力強さで彼らの頬を打った。
 全世界のモニタに映った、恐怖に立ち向かう少年。山野バンは、彼らはこれまでも命さえ危険に晒される場所で戦ってきたのだ。そして時には一般の民衆の知らぬ場で人の命を救ってきたのだ。その彼が訴えた。皆の力が必要だと。
 そして人々は、この少年から目を逸らさなかったのだ。少年の言葉を受けとめ、自分の持てる力を惜しみなく差し出したのだ。
 トキオシティに向かおうという人々の声。それは今もこのホワイトハウスの中まで聞こえてくる。きっとどの国も同じはず。首相官邸の壁を震わせ、自分たちの耳に届く言葉。
 力を合わせよう。世界を救うため立ち上がろう。
 私たちも力になる!
 ――人々が…、私たちをこの椅子まで押し上げてくれた人々が、今一度、私たちを政治家にしてくれた。この椅子に座るものとしての仕事を知らしめてくれた。
 大統領の、国のリーダーの仕事とは、人々の暮らす社会を守り、人々の生活を幸福へ導くこと。彼らの、今まさに戦わんと声を上げている、彼らの!
「ガーダイン」
 クラウディアは俯き、そっと囁いた。
「ガーダイン、聞こえますか…?」
 世界とは支配されるものではない。共に生きるものなのだと、もう一度あの男と話をしたい。
 明日が来るならば。
 明日を迎えるためにも。
 彼女は顔を上げる。モニタの中には自分の言葉を待つ人々の瞳がある。
「皆さん…」
 我々もまた互いに愛すべき隣人たちだ。だからクラウディアは笑顔を浮かべた。そしてその信頼を口にした。

          *

 山野淳一郎は廃墟の街を歩く。
 人が、死んだに違いなかった。たくさんの人間が、まだこの焼けた瓦礫の下にいるに違いなかった。あるいはその肉体さえ…。
 夜明けの空の下を風が吹く。灰が頬を打つ。
 ――赦されるためではない。
 この瓦礫、この灰、どこに発端を求めるのか。LBXを生み出したことを後悔しないと、彼は昨夜自分の息子に言った。しかし自分の存在がこの景色に至る経緯の基点基点にいることは確かだ。
 罪を贖うという気持ちでもなかった。贖われることはないだろう。それほどに彼の世界に対する負債のリストは多い。
 それでも自分の役割はあると言った。自分にできることをするだけだと。
 ――バン。
 自分を信じる二つの瞳を、今度こそ裏切らない。
 朝日が昇り、山野淳一郎は頭上を多う巨大な影に顔を上げた。ミゼルトラウザーはそこが地獄の中心であるかのように焦土の中心に佇んでいた。
 彼は足を止めない。悪魔の足下に向けて、迷わず歩を進める。




2013.3.15