冬の感情










 クリスマスが近づき、秋は過ぎ去った季節となっていた。テレビをつければ所々で雪のニュース。イルミネーションと、街頭演説と、政治家を揶揄した雪だるま。十二月の足音は鈴の音とともに軽やかな駆け足。十月も十一月さえも、今や遠い。
 ユウヤはCCMに映る日付から壁に視線を移した。チャイナタウンの側に建つこの安宿はもう相当古くて、流行遅れの壁紙も所々剥げかけているが、ここをねぐらにする者たちは皆そんなことは気にしない。雨風をしのげる屋根と壁があれば十分。
 しかしそこにも居心地の良さを求める人間はいるらしい。ポスターを貼って剥がした跡、押しピンの開けた穴。ユウヤは壁を傷つけるのが憚られたので、給料で小さなフォトフレームを買った。中には笑顔が溢れている。もう何年か前の写真だ。ヴァンパイアの扮装をしたジンと、魔女のアスカ、そしてスーツに魔女の帽子をかぶったサイバーランス社の西原誠司。数年前の十月も末にジンから送られた写真だ。手紙が添えられていた。こういう感じでアスカが押しかけるだろうから君も注意した方がいい、と。
 ユウヤはこの写真が好きだ。秋は必ずこの写真を飾る。
 ――今年は会えなかったな…。
 当然だ、誰にも言わずに海を越え、シアトルに来た。今年、アスカはどんな仮装をして花咲の道場を訪れたのだろう。ランはきっとノリノリで迎え撃った――勿論LBXで――だろうし、師範の大門も恒例となったこの行事に相好を崩してお菓子を用意しているはずだ。
「ちょっと、遠いな」
 ユウヤはフォトフレームを油紙に包み、クローゼットの中、いつでも旅立ちの準備はできているとばかりに待ち受けている旅行鞄の底に仕舞った。
 今年、アスカは家族と一緒に長期の渡米をした。彼女がしょっちゅうその名を口にする弟のタケル、彼が内臓に抱えた障がいにオプティマの治療が適用できるか、ようやく検査の順番が回ってきたのだった。日本に帰国したのはハロウィンより少し前になったのではないだろうか。しかし、場所はあのボストンだ、ジンのいる。きっと毎年の恒例は欠かさなかっただろう。直接会ったことはないが、タケルは常に寝たきりという訳ではなくリハビリも行うし、車椅子にも乗れるという話は聞いている。もしかしたら今年のハロウィンは三人で会ったかもしれない。
 ――写真…が、
 トキオシティの花咲の道場には送られてきているかもしれなかった。
 ユウヤは仕舞ったばかりの写真をもう一度取りだして眺めた。
「ジン君」
 ガラスの上から写真をなぞる。
「アスカ君」
 これが寂しいという感情だな、とユウヤはフォトフレームを抱きしめて思う。
 ちょっと時間は遅かったが、もう一度ダッフルを羽織った。内ポケットにフォトフレームを突っ込み、ホテルを出る。中華街の手前にドーナツのチェーンが店を出している。そこで――もうハロウィンのメニューは消えていたので、普通のドーナツを箱一杯に買った。
 戻ったホテルのロビーには数人の、自分と同じような日雇い労働者がたむろしていて、今夜の仕事はもう全部フロントマンに任せたらしい支配人と駄弁っている。ユウヤは手招かれてソファの一番端に座った。皆の目当ては勿論、いい匂いをさせているドーナツだ。仕方ない。ユウヤも分かっている。みんなと一緒に食べるドーナツは美味しい。
 男たちはそれぞれにCCMや端末を取り出して故郷から送られてきた写真を自慢した。うちの娘のコスチュームは学校でグランプリを獲ったんだ。いやいや、うちのはかみさんの手作りでさ…。ユウヤはダッフルの上からフォトフレームに触れる。一瞬、それに参戦しようかと思ったが、結局仕舞ったままにしておいた。
 部屋に戻る頃、ドーナツの箱には一つ二つしか残っていなくて、ユウヤはそれを朝食に取っておくことにする。ダッフルを脱ごうとして、胸ポケットの写真を取りだした。硬いフレームの端を、こつんと額に押し当てる。
「これは何て言う感情なのかな…」
 細めた目にぼんやりと映るこぼれるような笑顔。
「教えて…」
 ユウヤは瞼を閉じ、そっと息を吐いた。



2012.11