朝日のように君が笑って
眠気は伝播する。ぬくもりと共に。空を飛ぶ間、太陽が近いせいか、外の気温は氷点下と分かっているのに眠くなる。 ダックシャトルの座席でもやたらとあくびが聞こえて、どうしたの、とジェシカが通路を挟んだ相手に気軽に訊けば、昨夜タケルと遅くまでお喋りしててさあ…、と言っている。ああ時差か、とジンは思う。 古城アスカの弟は日本にいる。Nシティは地球のちょうど反対側だから、弟に合わせて電話をしようとすればそんな時間になってしまうのも道理だ。 「飛んでいる間はバトルもないんだから、休んできたら?」 「もーちょっと空見る」 「下は曇りじゃない」 「おもしれーもん」 しかし語尾はあくびとかぶっていて、ここは座席が倒せないんだから、とジェシカが部屋へ促す。 「やーだー」 「わがまま言う奴はこうだ!」 突然乱入したランがアスカの身体を抱え上げた。アスカは、うわーやめろー、と言いながらも抱え上げられた感触からか笑っている。結局ランの手でベッドに放り込まれたらしい。 ふ、と隣の席でユウヤが笑った。 「着陸する時は起こしてあげないといけないんだっけ」 「そうだな」 「今度は起きないって言うかもね」 その光景が目に浮かぶようで、ジンも大して表情には出なかったが彼なりに笑った。ユウははもうその姿を目の前にしているかのような優しい顔をしていた。 そんなことがあった、と思い出した。ジンはもう一度寝室のドアを開けたが、アスカは身体を丸めたまま起きる様子がない。ジンの分のコーヒーカップはもう空になっている上、テーブルの上で朝食は冷めてしまっているのに。時計を見たが、そう早い時間とも思えない。七時過ぎ。どのチャンネルでもいっせいにニュースが始まった。 いつもはその言葉でさえ思考できる英語のニュースが耳を素通りする。窓の外には目覚め、動き出したボストンの街があった。ジンは空っぽのカップを指先で弾く。妙にのんびりした気分だ。 テレビとは別に軽やかなメロディがCCMから流れた。メールはユウヤからだった。アスカ君とは会えた?と短い文面。そういえば二人は電話をすることが多いのに、と思って番号を呼び出そうとし…。 何故だか溜息が漏れた。ジンは額にこつんとCCMを押し当てると、ユウヤ、と呼びかけた。 「会えたよ」 それからその通りのことをメールで返信する。 CCMをテーブルに置き、寝室に向かった。カーテンを越しても朝の気配は満ちている。今朝まで自分が横になっていたところに腰掛けアスカを見下ろすと、もう眠りも浅いのか小さくうめく声が聞こえた。溜息のような、泣き止んだ後の呼吸のようなそれは、ジンの耳の奥を滑り落ちて胸のあたりをくすぐる。 剥き出しの肩を撫でると表面が少し冷えていた。しかし首筋はあたたかい。静かな脈を指の下に感じる。伸びた髪を掻き分けて、指の背で耳に触れた。 「起きているんだろう」 しかしアスカは返事をしなかった。まだ少し機嫌が悪いのかもしれない。なだめるように頭を撫で、朝食ができている、と言うと瞼が開いた。瞳が動いてこちらを見上げる。 「一緒に食べないか?」 「トマト…」 声が掠れている。アスカはぐぐ、と唸ると、トマトジュース、と言い直した。 「…飲みたい?」 「うん」 「じゃあ…」 「ここで」 またアスカはジンから目を逸らし、シーツを引っ張った。 「ここで飲む」 リクエストどおり真っ赤なトマトジュースをコップいっぱいに注ぎ、トレイに載せて運ぶ。手渡す前にカーテンを開けて朝の光と空気を取り込み、コップの中身がちゃんと鮮やかに赤いのを眩しそうに目を細めるアスカに示す。色はまず合格。香りもいいようだ。 アスカは身体を起こそうとして気がつき、慌ててシーツを胸元にたぐり寄せた。着替えなど用意してきたはずもない。ジンが自分のシャツを肩にかけると、汚すぞ、知らねーぞ、とアスカは悪戯っぽく笑った。 「それでもいいさ」 「…行儀悪いって説教するんじゃねーの」 「今朝のような日に?」 アスカはトマトジュースを一気に飲み干すと飛び跳ねるようにベッドから起き出した。 「朝飯!」 「おい、アスカ…」 下着、と言おうとして流石にその替えはないことに気づく。ドアのところで振り返り、アスカが指さし笑った。 「お返し」 ジンは掌で顔を覆った。真っ赤になっているのは分かっていた。取り敢えず朝食、で、その間に洗濯機を回してしまおう。 アスカは早速テーブルについて待っている。オムレツを目の前にナイフとフォークを鳴らすのを見て、行儀が悪い、と言うと、やっといつものジンだ、と笑われた。冷めてしまったオムレツはもう一度温めなおして、ケチャップはお好みで。トマトジュースをおかわりするアスカは、オムレツにもたっぷりのケチャップをかける。 「お前にもかけてやるよ」 遠慮する前にアスカはオムレツの上に「ASUKA」と書いた。
2012.10.22 わたりさんが「撫でられるアスカがみたい」とおっしゃったので。
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