世界チャンピオンの魔法










「…古城アスカか」
「その溜めは何だよ。なー」
 人種のサラダボウルと呼ばれるNシティだ、しかもハロウィンの目抜き通りとなれば誰とすれ違ってもおかしくはない。ジンは商談のために大学のあるボストンから列車で出てきたばかりだった。地下鉄の階段を上り、ふと顔を上げると、山吹色の髪の少女がじっと自分を見下ろしていた。知り合いだろうか…と数秒その顔を見つめ、この一年の事件で見慣れた顔だ、と気づいた時、帽子の有無が自分の認識する彼女のアイデンティティに深く関わっていたのだとジンは知った。
「帽子は?」
「買ったよ」
「……?」
 紙袋が差し出される。中にはハロウィンの仮装としては定番の魔女の衣装ととんがり帽子が入っている。
「あとこれ」
 もう一つの紙袋にはヴァンパイアの衣装が入っている。
「…君が着るのか」
「はぁ?」
 アスカは思い切り顔をしかめると、ヴァンパイアの衣装をジンに押しつけた。
「お前、魔女の格好したいのか?」
「いや、それは違う」
「じゃあとっとと着替えようぜ」
「待て、古城アスカ、僕は君と何か約束をしていたか…」
「んなもんなくったって、オレたちは仲間だろ」
 紙袋を掴んだまま動けないジンの手を引いてアスカは歩き出す。
「お菓子もらいに行こう、お菓子」
「どこへ…」
「NシティにもLBXの会社がいっぱいあるんだろ。ジンは顔が利くってバンたちが教えてくれたんだぜ」
「会社に…突撃だと…?」
 取り敢えずサイバーランスの開発主任との約束の時間は刻々と迫っており、西原のことだから自分が少し遅れたくらいで機嫌は損ねないだろうが、このままアスカに付き合ってしまっては一日が潰れかねない、いや潰れるだろう。
「待ってくれ、僕は今から商談が…」
「じゃ、そこ行こう」
「………」
 ジンは返事をしたものか諦めたものか迷う内に、彼女の後について行ってしまっている。
 さっき衣装を買ったショップに逆戻りしたらしく、アスカは自分の手を引いたまま試着室に入ろうとした。流石に腕を引いて止めた。
「僕は隣で着替える」
「恥ずかしいのかよ」
 ニヤニヤ笑うアスカを見ながら、本当は言うべき言葉はこれではなかったと思いつつ、ここまで来ては彼女を振り切って行くこともできないし、本当に何をしているんだろうと思いつつヴァンパイアの衣装に着替える。
 魔女は会談の場所をジンから聞き出すと専用CCMでホテルを調べ、そこへ一直線に向かってゆく。ハロウィン当日には早い魔女とヴァンパイアの姿にすれ違う人々が振り返り、それが恥ずかしくないこともなかったが、それ以上に自分の足が弾んでいるのがジンには解せない。自分のことなのに。
 ホテルのレストランでは多分約束よりも早く到着していたのだろう西原誠司が突然の世界チャンピオンの魔女姿での来訪に驚きつつ、後ろのジンの姿に目を丸くして、
「おや」
 と一声だけ上げる。
「トリック・オア・トリート!」
 アスカが物怖じもせず掌を差し出す。
「…おやおや、少し早いようですが」
 いつものやや営業的な笑みを取り戻した西原は二人を席に促し、にこにことその姿を見つめた。
「世界チャンピオンのいたずらには興味がありますが、ここでヴァンパイアキャットに暴れられてはたまらない」
 何かデザートになるようなものを、と注文し、これでいいですか古城アスカさん、と笑いかける。
「…あんた、変な人だな」
「アスカ」
「構いませんよ。変、か。なかなかそう言ってもらうことはありません」
「変だよ。普通おかしいって思うだろ」
 アスカはさも当然のことのように言い、ジンは普通の感覚も持ち合わせていたのかと驚く。その上で敢えてこういう行動に出る古城アスカのことを自分はまだよく分かっていない。
 西原は微笑み、LBXプレイヤーには個性的な方が多いですから、と返事をする。
「私も空気を読んでこう言った方がいいでしょうか。トリック・オア・データ」
「データくらい普通に渡す」
 ジンは懐の封筒からデータと自分のレポートを入れたメモリを見せ、再び封筒にしまって西原に渡した。
 ケーキを中心にしたデザートはすぐに運ばれてきて、アスカはいいの?とでも言う風にジンを見上げる。ジンは西原を見る。西原はどうぞ、と手で促す。
「いっただきます!」
 アスカは遠慮をしなかった。魔女はほっぺたを生クリームで汚しながらケーキを食べる。
「あとトマトジュース」
「大きな声で言わなくても注文は…」
 ジンが宥めると、向かいの席でプッと西原が吹き出した。
「失礼。いや、本当に、悪気はないんです…」
 笑いが堪えられないらしい。ジンはテーブルの下で相手の足を蹴ってやろうかと思ったが、大人げないかと思ってやめにした。ただでさえ大人げない格好をしている。
「ジン君、今、自分の事を大人げないと思ったでしょう」
 西原が見透かしたように言う。
「安心してください、あなたはまだ十四歳です」
「だが僕の立場は…」
「三十過ぎのおじさんの前では十四歳は子どもですよ」
 勿論、あなたは同時に皇帝でもあるが、と西原は掌を胸に、ご無礼を平に、と頭を下げる。
「馬鹿にしている訳ではないな、西原」
「当たり前ですとも」
「あんたらさ」
 アスカが届いたトマトジュースを一気に飲み干してから言う。
「変なの」
「君に言われたくない」
 ジンは言い返して紅茶に口をつける。
「古城アスカさん」
 西原はアスカに声をかける。早速この世界チャンピオンを口説くつもりだろうあなたのLBXは弟さんの設計だそうですね。とても興味深い。是非今度ゆっくりお話しできませんか…。
 するとアスカはフォークの先を西原につきつけて言った。
「そんなんさ、今話せばいいじゃん」
 西原はきょとんとし、すぐに笑った。その営業的笑顔の下、目の奥に野心家の彼の心が燃える炎の端をジンは見た。
「では、是非、これからごゆっくり」
 LBXの話を始めれば止まらないのがLBXプレイヤーと開発者だ。皿が全て空っぽになると、三人は明かりの灯り始めたNシティへと下りる。アスカが魔女の帽子を西原に被せる。西原は謹んで世界チャンピオンからのプレゼントを頭に戴き、それから新たなトリートを求めて三人は目抜き通りを行く。
 新しいLBX、新しい設計思想、これから現れるのだろう未知の敵、心躍るバトル。それから両手一杯のお菓子。色とりどりの包み紙にくるまれたキャンディやクッキーやチョコレート。
 ――結局、アスカの思い通りになってしまった。
 ジンは地下鉄の駅を通り過ぎ、帰りの切符をポケットの中でくしゃりと握り潰した。もう必要なかったからだ。



2012.10.11 わたりさんがジンアスがなくて泣いたと呟かれたのを見て。