クリーグスピール




 オーストリアは公平で、また実に誠実なジャッジだった。プロイセンは思い出す。自分の背中には、少し離れたところに座るドイツの、まだ少年のようだったあの姿があった。彼は背中でその気配だけを感じ取り、全てを審判であるオーストリアに委ねていた。
 プロイセンの目の前にはチェス盤と黒の駒だけがあった。彼は頭の中で様々な陣形を描きつつ、背中の弟が答えを出すのを待っていた。ドイツの目の前には同じようにチェス盤と、そして白の駒だけが載っている。
 かたん、と小さな音がする。小さいが、硬質で、意志の籠もった音だった。それを確認したらしいオーストリアは、プロイセンの前まで歩いてくると、その声音に全く私情を乗せず、ただ、ありのままの、シンプルにして唯一の真実を囁いた。
「取られました」
 白い指先が黒のビショップを取り上げ、ピアノの蓋の上に置く。白のポーンが二つ。そして今取られた黒のビショップが並ぶ。
 クリーグスピール。二つのチェス盤を用いて行われるチェス。プレイヤーはお互いの手を見ることができない。進むことのできない枡、取られた駒、チェック、全ては審判の口によって伝えられる。
 始まって二時間。まだまだ序盤だ。これを終わらせるには半日がかかる。しかしその間、オーストリアはピアノも返上し、彼とドイツの戦いに立ち会うのだ。今日も、日が暮れるまで。
 プロイセンは身を乗り出して盤を睨みつける。さて、向こうからやってきた刃は何なのか。
 ふと見上げると、オーストリアも自分を見下ろしている。口元を歪め、笑って見せると、オーストリアは踵を返し、用意された椅子に腰掛ける。いつものピアノの前ではなく、窓の明かりを背に、白と黒のチェスプレイヤーを見渡すジャッジの椅子につく。奇妙な平和。静寂の戦い。プロイセンは背中の気配で読むことはしない。オーストリアの言葉だけを信じ、目の前の戦いに向かう。そして自信に満ちた手つきでキングを進ませた。





(「プロシアでは、こうやって将校に軍事戦略を教えたんだ。」/フィリップ・K・ディック短編『ヤンシーにならえ』より)