遠いパレード




 窓硝子が湖面を渡る冷たい風に鳴る。イタリアは自分の前に積み上げられた書類の山から目を逸らし、窓の外を見て、そして側の、もっと大きな机の上でイタリア目の前にあるものの倍もある書類と静かな格闘をしているドイツを見た。
 僅かに電球が揺れた気がした。隙間風のような冷たさが首筋を撫で、イタリアは反射的に目を細める。日は落ち、湖畔の風景は凍てついた青い夜の底に沈んでいた。それは湖の底のようでもあった。イタリアはドイツの名を呼ぼうとして、意志の力でそれを止め、再び書類に目を落とした。
 冬が来た。騒がしさが一時止んだ。しかし雪の落ちる空が、凍てつく湖面が、ストーヴの温もりと外界の寒さに挟まれた窓硝子が軋みを上げるように、その不穏な気配は拭うことが出来ず、二人の目の前の書類は一向に減らない。
 ドイツ、と呟いた。思わず声が漏れていた。イタリアは書類の山の隙間から向こうの机を覗いた。うずたかく積まれた書類の向こうから、何だ、と返事があった。
「身体、大丈夫」
「…どうした」
「昨夜も、辛そうだった」
 タイプを打つ音が返事のように響く。淀みなく、冷静で感情のない鉄の音が連なり、最後に出来上がったばかりの書類を一番上に置く革手袋の手が見えた。
「イタリア」
 呼ばれると、抗いようもなく感情がこぼれる。イタリアはドイツの机に寄り、既に背筋を伸ばしていないその姿をそっと抱き締める。革手袋を外すと、ごつごつとした手があらわれて、そこからもあの軋みが聞こえてくるようだった。イタリアはそれを自分の両手で包み込む。まるで氷点下の風に晒されていたかのように、手指は冷たい。
 息を吹きかけ、キスを落とす。青く染まった硝子窓の隅にその姿が映る。ここの景色は白と黒だけではない。イタリアは心の中でそんなことを語りかけながら、ドイツの手の冷たさを感じ続けた。俺の故郷の山と、街と、美しい湖。青く落ちる夜だ。軍靴の音が響くとすれば、それはドイツとイタリアのものだけだった。何もかもが静まっていた。冬の雪の下で。冷たい雪の上で。
 ドイツ、と呼ぶ。
「ドイツ」
 指を絡ませる。イタリアは電球の明かりの影でかすかに微笑み、掠れ声でドイツの名を呼ぶ。視界の端で、白い歯がもう片手の革手袋を脱ぎ捨てる。冷たい指が首に触れるのを、イタリアは隙間風ほども恐れない。ここに恐怖はない。それは悲しいことかもしれないけれど。





独伊を書くと…。