砂のように砕ける純潔




 日本が控え目に、イタリア君が本気を出せばドイツさんはイチコロなのではないでしょうか、と言ったので、イタリアはふきだしてしまった。
「だってドイツ、男じゃん」
「イタリア君のあれは女性専用だったんですか」
「当たり前だよー」
 しかし、その後、一人になって考え込んでしまったのだった。
 シャワーを浴びて、裸のまま部屋をあちこち横切り、欲望のままにワインやチーズを抱えてうろうろしているとテレビのリモコンを踏んでしまい、ワールドニュースがドイツのことを喋っていると急に会いたくなって、ワインとチーズを脇に抱えていたのを忘れてシャツを羽織ろうとしたら、見事垂直落下したそれた足の小指を直撃し、痛みにうずくまっていると目の前に鏡があって、自分がどこからどうみても男なのが、まあ当たり前だよなあ、とも思いつつ、何故か軽く落ち込んだ気分になったのが自分でも不思議だ。
 エイプリルフールのために用意したスカートをはく。胸の詰め物は、ちょっと多すぎた。でも胸はふかふかしていた方がいいのだ、多分。かつらを被り、全身を何となく整えて、よし、と一声。ワインを拾い上げ、最後に玄関に生けていた花を髪に挿して、タクシーを呼ぶ。
 ドイツの家の玄関先に着いた時、時刻は既に深夜というよりも早朝に近くて、ノックの音が心細く暗い森に響く。いつもはノックなどせずに寝室まで一直線に向かうから、多分、ノックをするのも初めてで、夜風に吹かれる自分の格好も足元から冷え込む寒さも、何もかもが身体を小さく震わせる。
 やはり気づかないだろうか、と二度目のノックをした直後に、急にドアが開いて不機嫌そうなドイツが顔を覗かせる。
「あっ」
 漏れた声は小さかった。ドイツの表情はイタリアの格好を見た瞬間に戸惑いに変わって、本当に知らない女が尋ねて来たとでも思ったのだろうか、人違いだとか何とか小さな声で言ったが、あの…、とイタリアが言いかけると、イタリア?、と困ったような声を出した。
「何だその格好は」
「ワイン、飲もうと思って…」
「今何時だと思っている。タクシーで来たのか?」
「うん」
「何をやっているんだ」
「会いに来たの」
 イタリアは笑ってみせる。
 格好に気をつかって。甘い言葉を甘い声で。笑顔で。本気を出したイタリアなら、ドイツを落とせる。赤い口紅。香水はナンバーファイヴ。ワインも、チーズもベッドの上で構わない。
 ドイツは黙ってイタリアを家の中に招き入れると、リビングのソファに座らせる。
「ドイツの部屋じゃないの?」
 しかしその背中は返事をせず、グラスを取りにキッチンへ消える。
 ワインの封を切るのも、注ぐのも無言で、乾杯のグラスだけが真夜中に小さな澄んだ音を立てて、また無言でワインを飲み干す。
「…そうじゃなくて」
 イタリアは立ち上がり、ドイツに飛びつく。それは正しく飛びつくといった表現が適切で、犬猫ががむしゃらに胸に向かって飛び掛るような動きだった。そしてイタリアらしく、ロングスカートの裾を踏むことを忘れない。イタリアの頭はドイツの心臓の真上に頭突きをするかのごとくぶつかった。
 一瞬息が詰まったのか、ドイツが小さく呻く。しかしイタリアはドイツの身体を離さなかったし、更に強く顔を胸に押しつけた。
「…何なんだ」
「オレのこと好き?」
「いつも言っているだろう」
「ねえ、本当にオレのこと好きになって」
「オレは嘘を吐いてはいない。お前のことは本当に……、その、」
「そういう好きじゃなくてさ、本当に好きになってよ。キスしてよ」
「どうした。本当に、何なんだ、イタリア」
「好きだよ」
 顔を上げたイタリアは涙で化粧が崩れていて、目元は黒く滲み、頬には涙の筋が流れている。ドイツは袖でその顔を拭ってやり、自分の手がはみ出させた口紅の赤にはっとしたように息をのんだ。
 リビングには明かりが灯っている。イタリアの泣き顔ははっきりと見えた。押し付けられるふわふわとした胸の柔らかさや、いつも触れない女物の服の柔らかさや、香水の匂いにドイツは頭がくらくらし始める。
「本当にオレのこと好きになって」
 はみ出した口紅に指を添える。それをそっと拭うと、ドイツは苦しそうに目蓋を閉じた。





ベッラへの情熱をいかんともしがたい