プライベート・レッスン




「口、開けろ」
「嫌ですよ」
 抵抗するのを掴まえて両手で顔を固定すると、目蓋をぎゅっと閉じて視界から俺を締め出し己の身の安全を守ったつもりなのだろう。そういった浅はかさというか、子どもなりの幼い理論だ。
 珍しく晴れた日だ。丘陵の家にやって来たのはアプリコットのジャムを、この家の戸棚に仕舞っていたことを思い出したからだった。取りに来たついでに紅茶を一杯。ポーチに出したカウチの上で、心さえ包み込むような茶葉の良い香りを楽しんでいたところ、この子どもは傲岸不遜を絵に描いたような態度で目の前に現れた。
 午後の穏やかな陽の光の下、俺はまじまじと目の前の子どもを眺める。髪も、顔つきも、品のよさも俺に似ている。周囲が言うように眉の形も似ているだろう。
 細い足を撫でる。綺麗な膝。汚れのない顔。口は悪いが、これでも周囲に愛嬌を振りまいたりするのだ。国ではないから扱いあぐねている奴も、そして無視する奴も圧倒的に多かったが、北欧の連中は、特にスウェーデンやフィンランドはこいつのことを可愛がっている。
 シーランド。世界最小国家を自称する生意気なガキ。自国土ではない、とは言ったものの、やはり俺の弟と言うか、保護下に置いた方が適切ではないのだろうか。里帰りと思っているのは、俺だけか? 「たまには遊びに来てやったですよ」だと。可愛らしくもない。お前の家がどこにあるのかを考えろ。
 が、こういうことを言い出すと、ではまず北海に突き出た二百余平方メートルの鉄の塊を俺の領土ではないと言った俺の発言に返ってくる訳で、つまり俺が愛を与えなかったとでもあの髭野郎なら言うのだろう。愛か。俺の手の中からぼろぼろこぼれていったものの名前だ。
 アメリカは俺がちょっと見ない間に、あっと言う間に大きくなった。こいつは小さいままだ。だから俺は安心しているのか。ネグレクトはしていない。糖分抑え目の保護者的愛情さ。俺はシーランドの面倒を見る義務を、明文化されたそれではなく、この心に命ずるものとして感じている。
 ドイツの科白ではないが、愛とは何か、だ。与えること。触れること。包むこと。守ること。どれもうまくいかなかった。だから単純に答えはこうだ。キスだろう。
「だから、おら、口開けろって」
「断固お断りですよ。何でイギリスの野郎で大人の階段を上らなきゃいけないですか」
「安心しろ。俺を誰だと思ってる。お前の兄だ。大英帝国様だ。世界一なんだ」
「何が世界一ですか、この野郎」
「これがだよ」
 唇の端に軽く触れてやっただけでシーランドの身体は跳ねた。目が大きく見開かれ、わなわなと唇が震える。
「キ…キスしやがった…ですか!?」
「こんなん挨拶にも入らねえよ」
 正面から。右手で頭を抱く。幼い息が顔にかかる。鼻で息をしろよ。そうすれば、もっと長く出来る。舌で小さな唇をなぞる。強く引き結ばれ、細かく震える唇だ。
 アメリカとキスか。したかったなぁ。俺が抱かれてもいいから、したかった。確か、かつての大昔もらったぬくもり。幼いあいつらが、おやすみと頬にしてくれたキス。右の頬はアメリカから。左の頬はカナダから。香港が形だけで行った手の甲への味気ないキス。セーシェルが拒んだキス。
 だけどお前は身代わりなんかじゃねえよ、と言ったところで白々しいのは俺も重々承知しているので言わない。実際、アメリカ相手に受身のセックスをしてもいいとか考えながらしているキスだから、身代わりではないとは言い切れない。まあ、セックスに関して言うならシーランドを相手に俺が受身ということはないのだろうが…。
 手が一瞬、びくりと震えた。腕のなかのそれはまぎれもなく子供の身体で、俺は流石に何を考えているのだろうと思う。性欲に関して節操がないのはある程度自覚しているから、相手が人の形をしているだけマシ。マシだけど子ども。ペドがスペインの専売特許ではない、という問題でもなく。
 そして俺は背徳感に一瞬慄いたにも関わらず、今また懲りずにどこまでならオーケーか、そのラインを探っている。キスをしたものはしょうがない。どのくらい脱がせていいだろう。別に脱がなくたって、服の上からだって俺はいい。まあ、触れるに越したことはないが。
 くふんくふんと音を立てて、シーランドの鼻から息が吐き出される。俺が唇を離すと、レスリング選手が寝技から起き上がった時のとはまた違う顔の赤さで、シーランドは口を半開きにし、はっはっと短く息を吐いている。俺はシーランドの唇からこぼれる涎を舐め、唇の上と頬にキスを落とす。
 シーランドは焦点の合わない目に涙を溜めて、俺の方を見ようとしている。俺は目の上にもキスをしてやる。シーランドの目蓋が閉じる。今度は拒絶するためではない。単なる条件反射だ。小さな顎を少し持ち上げ、髪をかき上げると、耳もまた真っ赤に染まっていた。耳の上。耳朶。それから耳の裏にも一つ一つ丁寧に吸いつく。
 幼い喘ぎ声が耳を擽った。キスをする俺の身体の内側にも、じわりと快感めいたものが生まれる。
「シーランド」
 囁いて耳朶を軽く噛み、唇で挟む。シーランドが震える声で「い…い……」と繰り返しているのは、俺を罵ろうとしているんだろう。構わない。
「シーランド」
 愛しい。
 じわりと思い、キスをやめた。シーランドは既にぼろぼろとこぼれる涙で顔を汚していた。それでも綺麗なもんだ。白い肌。子どもの皮膚の柔らかさ。鉄錆も油汚れも、ちゃんと落としてから来るんだよな。いや、汚れやしねえさ。お前は生まれたときから真っ直ぐに綺麗なままだ。
 涙を拭ってやろうとしたら、俺の方は準備万端、上なんざほとんど脱いでいて、近くにクリネックスも見当たらなかったもんで、結局掌で拭ってやる。
「今日のところはこんなもんだろ」
「今日…の…?」
 すると、またシーランドの目が潤んだ。
「の…って何ですか? またするですか!?」
「安心しろ。バリエーションを変えてやる」
「ちっとも安心じゃねーですよ! シー君、テーソーのキキですよ!」
「お前、俺以外の誰に操立てするんだよ」
 急に馬鹿馬鹿しいほど笑いたくなり、腕の力を込めた。
 子どもの身体を抱き締めた。少し高い子どもの体温。子どもの匂いもする。しかし北海の冷たい潮風と、鉄錆と重油の匂い、それに火薬の匂いも少しした。
「もう…訳わかんねーですよ……」
 シーランドはぐずる。
「なら寝ちまえ」
 俺は子どもを抱いたまま、ゆっくりと身体を揺らす。シーランドは小さな声で、小さく、本格的に泣き始め、しゃくり泣きのまま五分ほど俺に揺られていたが、やがてマザーグースのメロディと共に眠りに落ちた。
 歌いながら俺は考える。次は何をしてやろう。まずはキスだ。それから何をしよう。触れて、抱き締めて、何をしよう。
 子どもの寝息に誘われるように、軽い眠気が襲った。俺はシーランドを抱いたままカウチに横になる。紅茶が冷めたな、と思った。目を覚ましたら淹れてやろう。仕方がないから、二人分。飽くまでも仕方なく、だ。これが愛だと言うならば。





某サイト様で拝見した英シーに滾った結果。リスペクト!