令和のこの世に突如として始まったタグ直打ち日記

2020.6.11 thursday

「ウェルカム・トゥ・アワ・ワールド」
昨夜、出島さんはそう言った。

世界の在り方、行動様式が違う。
今わたしたちが目にするTLやネットが荒れて見えるのはそういうことだろう。
荒れているように見えるのではなく、実際にちくちくけば立つような暴力性を肌身に感じている。
でも暴力の常在が今現在のスタンダードなのかもしれない。
その痛みに耐えられないものは淘汰されるのかしら。

かつて…の世界。
黎明期、ネットは公共の場だった。我々が共有する空間だった。
作品は個人サイト、あるいは掲示板にあったりした。
わたしたちは作品を探し求めてネットの海を泳ぎ、辿り着いた先に訪問し、作品を鑑賞した。

世界は変容した。
今は敷居も低くネットの一角にパーソナルスペースを持つことができ、作品はそこへ流れ込んでくる。
自分好みの作品がTLを満たすようにするには、検索しフォローする個人のセンスと裁量を必要とするんだから、単に口を開けて待っている訳じゃないんだけど。
その分、ほんとうは肉体の内側に収まっている魂とネットが肉薄して存在しているような感触がある。
誰もが無自覚に自我を剥き出しにされているような。

そも人間の脳が争うようにできているならば、我が身一つを砦として犇めき合っている現状は実際戦争不可避だ。
ネットは統治されるものじゃないだろうから、教育と学びによって砦を作るひとりひとりが自治と交流を行っていくべきなんだろう。
わたし自身客観視が下手だから、こんな感じかなという漠然としたイメージで語っている。
自分自身の自治と他者との交流、ねえ……。
修身斉家治国平天下、この言葉お気に入りなんですが、まず身を修め、次に家を斉(ととの)え、国を治め、ようやく天下を平らかにすることができるという意味の言葉です。
なに、知ったような口をきかなくても昔の偉い人がとっくに言っていたことだったのです。

さて、出島さんの科白はコンスタンティンをオマージュしたものだけど、彼女は肺がん一直線の煙の世界に私を閉じ込めた訳ではなかった。
アワ・ワールド、私たちが存在し触れ合うことで様々な摩擦も起きるこの世界。
何かどこかのドラマで「醜さを愛せ」と言った誰かの言う「人間の世界」にようやく私も足を踏み込んだと言った訳。
「あなたも変容するこの世界へようこそ!」

Q.変容って何があったのさ?
A.悔し泣き。

「醜さを愛せ」ってリーガル・ハイの科白なんだね。
堺雅人のような気はしていた。