CALLING ME足が…空を掻いた。 一瞬の浮遊感と墜落の予感に心臓が縮む。 (待てよ、俺の心臓は) ぼうん、と間抜けな音を立てて、右足がベッドの上に跳ねた。 (機械だよ?) 弾みのついた足はスプリングの反動に揺れるがまま転がっていた。 暗い。 暗闇の中に俺の性能の良い足が、白く転がっている。 「……はっ」 夜中に目覚めたと思えば笑うほどのこともない、なんだい、寝ぼけて足を振り上げるな んて聞いたことないぜ。 枕元に置いていたはずの腕時計を探すと、そこにはシーツのガサガサした感触だけで、 案の定床の上に落ちてやがった。 (だから言ったじゃない) ん? なんだって? (早く外せばって、私、言ったわよ) 笑うなよ。 笑うなよ、フランソワーズ。 彼女の笑い声は記憶用回路に仕舞われている訳でもないのに、すぐに思い出される。 特に都合の悪いときだ。 彼女の笑い声は俺の胸の上で。情けない俺の肩に寄りかかりながら彼女は「馬鹿ね」と 笑った。 『002?』 頭の中に声が響いてギョッとした。 『私のこと…呼んだ? 002』 窓の外の波の音のように、自分の心臓の音が聞こえてくるような気がした。乱れて、強 く打つ心臓の音が。 まさか、考えていた当の本人の声が聞こえてくるなんて、タイミングがよすぎるぜ。 フランソワーズの声は、脳波通信機を通しても眠たそうに響いた。 「起こしたか?」 『いいえ、ただ…呼ばれた気がして、何となく。眠りも浅かったし』 「なあ、003……」 頭の中で口を噤むと、自然と手が口を覆った。 外は風が強い。少し、寒そうだ。 『…なに?』 控えめな声でフランソワーズが尋ねた。 「……………」 『……どうしたの?』 「ちょっと外に出ないか」 風が窓を打つ。波の音が寒そうだった。それを理由に断ってくれればいいと、変な弱気 になりながら、思った。 だから 『…いいわよ』 こんな返事は予想してなかったんだ。 まるで生身の心臓のように脈打つ機械の心臓を感じるのは、俺の思い込みか。 「なんか…ドキドキすんだよなあ」 「今更じゃないの」 フランソワーズは苦笑して、自分の肩を抱いた。 沖から吹き付ける冷たい風が、金色の髪をなびかせて白く細い首筋を露にする。寝間着 に薄桃色のカーディガンを羽織ったフランソワーズの身体は、細い。砂の上に腰掛け、波 の高い海に冴え冴えと澄み切った空を見つめる様子は、本当に映画の女優みたいに見える。 バレエダンサーだったという話は、本人から聞いたことがある。けれども俺は、実際に 踊る姿を見たことがない。 「寒い…」 ポツリとフランソワーズが呟いた。 「ええ…と、これ着ろよ」 革のジャケットを脱いで肩にかけてやると、彼女は下から俺を見上げるようにして、悪 戯っぽい微笑を浮かべた。 「そう言ってくれるの、待ってたのよ」 「何だよ、ちぇ、意外と計算高いんだな」 でも、彼女は怒らなかった。その代わり、 「ねえ、もうちょっとそっちに行っていい?」 そう言って、俺にひっつくように座った。 「なあ、肩抱いたら、怒るか?」 「どうして?」 OKってことか。宣言どおり肩を抱くと、「あったかい」と少し笑った。 「四十年経ったのね」 「…………」 「眠っている間、夢を見た?」 「どうだろうな、見てねえんじゃねえかな」 「私は、見た気がするわ。ほんの短い夢だけど、踊っていた気がするの」 「…………」 「あれは、いつ見た夢だったのかしら…」 「もう、踊らないのか…?」 「…………」 「……」 「…踊りたい」 「今」 「え? ……今?」 「……あー、何でもねえや」 「…………」 「…………」 「あなた、寒くないの?」 「寒い」 「正直ねえ。普通、女の子には気を使うわ」 フランソワーズは立ち上がるとジャケットを脱ぎ、俺に返した。 「私、あなたの部屋には行かないわ」 「ああ…」 俺も立ち上がり、尻についた砂を払った。 「でもね、002」 そう言ってフランソワーズは俺の前に立った。 「抱き締めてみて」 言葉に促されるように、俺は素直に手を伸ばし、彼女の細い体を抱き締めた。 「002」 小さな声で呼んで、フランソワーズ細い腕が背中を抱いた。 「これから私たち、いつまで生き続けるんだろう…?」 「…考えたことなかったな」 「002、もう一度、名前を教えて」 「ジェット…、ジェット・リンク」 「ジェット……」 ゆるゆると背中の腕が緩んで、俺もフランソワーズの身体をそっと離した。 フランソワーズは俺を見上げて、ちょっと笑った。 「でも、私、やっぱりあなたの部屋には行かないわ」 「ああ…」 応えて、ちょっと考えて俺は、返されたジャケットをもう一度フランソワーズの肩にか けた。 フランソワーズは少し驚いた顔で、すぐに破顔して、風にめくれる前を押さえた。 「ありがとう」 どちらからともなく歩きだした。砂浜に残った足跡を月が照らした。振り向くと、二人 分の足跡が白く光って見えた。 「ねえ」 玄関の前で立ち止まって、フランソワーズは言った。 「おやすみ、って言って」 「…おやすみ」 「名前を呼んで」 「おやすみ、フランソワーズ」 「何十年経っても、名前を呼んでね」 「ああ」 「おやすみ、って優しく言ってね」 「ああ」 「…ジェット」 「…フランソワーズ」 名前を呼び合って、俺たちは小さく声をたてて笑った。 同じように四十年経っても、俺はこの笑い声を思い出すんだろう。 記憶用回路に仕舞わなくったって、思い出せるんだろう。 「フランソワーズ」 今更ながら、いい名前だよな、と思った。 |