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 生臭い匂いが鼻をつく。ジェットはそれをぺろりと舐めるとベッドの上に倒れ臥し、ハ
インリヒの頭を胸に抱え込んだ。整えれば美しかろう銀の髪が喉をくすぐる。冷たい額が
胸に押し付けられる。静かに呼吸を整えている内に、天井の配線や管を通う電子やエアの
低い微かな音さえ聞こえてきた。無為だが、頭ははっきりしている。
「なあ、シャワーを……」
「もう少しだけ」
「ジェット…」
「大丈夫。もう少し……」
 緩やかに巻きつけた腕の中でハインリヒが小さく息をついた。ジェットは目を瞑り「何
か話してくれ」と小声で囁いた。
「何か、ねえ」
 ハインリヒは腕の中で身じろぎし、何かゴソゴソやり始めた。
「取り敢えず、靴は脱がせてもらおうか」
「え?」
 腕から頭の重みが消える。目を開けると、半身を起こしたハインリヒが左足にわだかま
っていたズボンを足から抜いていた。
「……あ」
「お前は初めから脱ぐ手間が省けてたからな」
 ジェットが顔を赤らめ口を噤むと、初めて楽しげな笑い声がハインリヒの口から漏れた。
 それから、ベッドから足を降ろし片足の爪先で靴を脱がせる後ろ姿を眺めていたが、ふ
とジェットは口の中で呟いた。
「してやろうか」
 ハインリヒが振り向き、訝しげに聞き返す。
「……何だって?」
「だから、……そのままちょっと寝ろよ」
 ジェットはハインリヒを押し倒すと、その足の間に屈み込み薄い繁みの下で項垂れてい
るものを手に取った。
「オレ、さ…」
 手の中のものに口づけながらジェットは言った。
「あんたの、好きだよ。可愛いって言うか、綺麗って言うか、……何か」
 最後の言葉を言いあぐねたように口籠もり、口の中に含む。丹念に舐め、擦りするが、
それは微々たる反応も返さない。ハインリヒの表情は困惑こそしていなかったが、哀しさ
の中に少しだけ嬉しさを滲ませた表情でジェットを見下ろしている。
 指で立たせ下から舌で舐め上げるジェットは、それに何度もキスをした。
「お前の方が気持ち良さそうな顔をしている」
 囁く声が掠れていた。ハインリヒは天井を見上げた。灰色の埃っぽい天井が水の膜にで
も包まれたかのように揺らぐ。目眩のように頭の奥が揺れた。
「ああ…あ……」
 口から声が漏れ、自然と腰が引ける。ジェットはそれを離さず、尚熱心にキスを続けた。
時折、先程と同じような声が耳に届いた。口の中のものは力をなくしたままなのに、声と
身体の震えだけが届く。確かに届く。
 もういいとジェットを引き離した時、ハインリヒの顔は赤らみ、目には涙が滲んでいた。
そして有無を言わせずジェットの頭を引き寄せ、唇を重ねた。唾液で濡れた熱い唇が心地
よい。少し無理な体勢で顔を上げたジェットは、そのままハインリヒの上に倒れ込む。そ
れでもキスは続いた。機械の手が縋るように頭を抱き、硬い赤毛を掻き乱した。
 それから二人、また横になり、再び立ち上がりかけたジェットのものがおとなしくなる
まで取り留めもないことを話しながら時間を過ごした。結局ハインリヒ御所望のシャワー
にたどり着いたのは、随分と後になってからの事だ。
 ハインリヒが衣服を整えていると、水滴を散らせながらジェットが出てきた。長い髪を
タオルでぐいと拭い、ぺたぺたと足音を立てながら部屋を横切る。勢いつけてベッドの上
に腰を下ろし、足を抱え上げて丁寧に拭き始めた。生身と見紛うその足の裏には、あから
さまに異様な、黒い鋼の噴射口が埋まっているのだ。その様子を見つめ、ハインリヒは尋
ねる。
「最近は飛んでいるのか」
「いや…、メンテ後の動作確認と、それと少しかな。あんまり飛ばねえと錆び付くから、
そんくらい」
 最後の方は心なし声が低い。彼はもどかしそうに、遮光シートを貼った窓の外を見た。
正面のビルに遮られ、空は見えない。しかし西日に反応したシートが薄い紫色に染まって
いた。
「帰り、大丈夫か?」
「ああ。明日の朝まで西岸基地に戻ればいい」
「俺、送って行きたいな」
 ハインリヒはジェットの顔を見た。鳶色の瞳が見つめ返す。彼が静かに一言、言う。
「飛んで」
 それきり二人とも黙り込んでしまった。
 ハインリヒはベッドの下に転がり込んだ靴を拾い上げ、付着した埃にも頓着せず無造作
にそれを履いた。
「パンツ取って」
 クロゼットの中を覗くがなかったので、乾燥機の中から取り出して投げる。サンキュー
という言葉が翻訳機を介せず聞こえた。
「じゃあな」
 センサーの壊れたスライディングドアを手で開け、ハインリヒは言った。
「あんたも、元気で。また会うのを楽しみにしてる」
 素直な言葉に微笑し、小さく手を振ってから、彼はドアを閉めた。
 暗い階段を地上まで降り表に出ると、道の伸びる向こうから一直線に照らす西日に一瞬
足が止まった。目は瞬時に順応しているが、多分、その光の質量に圧倒されたのだろう。
もしくは熱が、この上の空中の楼に住む彼のような直向きな熱が。
 歩きだし、車の通りのない中央にぶらぶらと向かうと、不意に上空から噴射音が降って
きた。見上げた瞬間、ぶつかるようにジェットの身体が舞い降りる。それを抱き締めてや
りながらハインリヒは笑った。
「どうした、甘えん坊」
「アル…アル…、なあ、一緒にいてくれ」
 ハインリヒが口を噤む番だった。それは決して顔を赤らめ受け止める言葉ではない。ジ
ェットの顔は見えない。しかし切羽詰まったような声が続ける。
「お前が一緒なら忘れない。事実今だって、ずっと俺は覚えている。お前といれば忘れな
いんだ。なあ……俺はお前を忘れたくない」
「ちゃんと『覚えて』るだろう」
「違う。そうじゃない。違う……」
 ハインリヒは目を瞑り、囁いた。
「お前を前線へは連れて行けない」
 それから小さく息をつき、優しく背中を叩いた。
「待っててくれよ。寂しさだって忘れるさ」
「アル……!」
 途端にジェットの表情が厳しく変化したがハインリヒはそれを見ず、更に強く抱き締めた。
「俺に帰れる家を残しておいてくれ」
 ハインリヒの肩の上でジェットはしばらく渋い顔をしていたが、やがてため息と共に、
「やっぱなあ。口じゃあんたに適わないのは、そりゃ何百年も前から知ってたさ」
 呟き、拗ねたように唇を突き出した。
 そしてふわりとハインリヒを突き放し、空に舞い上がった。
「今夜、人恋しくなっても知らねえぜ」
「夢の中にでも出てきてくれって頼むさ」
「今、頼めよな」
「うん……頼む」
「なら、考えといてやる」
「ダンケシェン」
 ジェットはそれを翻訳機を介さずに聞いた。そのことが、静かに淀んだ記憶の沼に微か
な波風を立てたが、果たしてその正体に気づく前にジェットは窓辺に佇み、背中に西日を
受けながらぼんやりと考えたのだった。
「今……何時だ?」




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