全ては冬の所為だ、多分




「暖めあおうぜー!!」
 との叫びと共に宙を舞う男に膝の照準を定め、いや実にお前の跳躍力は大したもんだよ、
と心の一方では賛辞を与えながら、しかし004ことアルベルト・ハインリヒはレーダー
アイにスローモーションのように映る彼に、長年見慣れた仲間に、ラテンの血が沸騰でも
しているに違いないアメリカ人に、002に、ジェット・リンクに向かって容赦なくミサ
イルを発射したのだった。
 一瞬の閃光。地を揺るがす爆音。瞬間的に部屋を満たした煙に、舞い散る壁や窓ガラス
の残骸。高性能探知機能を持った目は、目標物が秒速28メートルの勢いで遙か遠くに吹っ
飛ばされたことを見て取った。後に残るは荒れ果てた自分の部屋。真冬の寒風御一行様を
手放しで歓迎するような大穴の開いた壁と、崩れかけた天井。灰が積もりガラスの破片が
飛び散る、決して素足では歩きたくない床。煤と埃でもって就寝の気分を拒絶するベッド。
彼らの第二の親、ギルモア博士が彼の邸宅に用意してくれた折角の部屋が、使用わずか一
日に満たずしてこのような惨状へと姿を変えたのだった。ハインリヒは、早くも日が落ち
水平線に一番星を光らせる空を壁の大穴から見上げ、物寂しげに溜息をついた。そう、俺
の名は死神……。
「わお」
 気のない声が背後で上がった。見ると、衝撃で蝶番の歪んだドアを蹴倒して009こと
島村ジョーが惨劇の舞台と化した部屋を眺めていた。
「よお、早速見舞いに来てくれたのか? 何、大した面倒じゃないんだ」
 ハインリヒは苦笑混じりに言った。
 するとジョーは近づいてきて、大変だね、と無感動に言った。
「やり方の下手な彼氏を持つとさ」
「へ?」
 死神と渾名されるアルベルト・ハインリヒがこのようにらしからぬ間抜けな声を上げた
のは、科白を言い終えた島村ジョーが加速装置を使い、一瞬彼の目の前から消えたからで
あって、またその後の奇妙な状況に声を上げるには、もう少し理解するまでの余裕が必要
だった。
「ん?」
「パンツを脱ぐのも、ピロートークをするのも、とにかく相手を完全に手中に収めてから
ってことさ」
「009!?」
 ほぼ鉄で覆われた背中を冷たい汗が滝のように伝った、気がした。後ろ手に自由になら
ない両手と、ミサイルを撃とうにも完全に固定された足と、とにかく窮屈な身体と、早業
職人芸のように綺麗に縛り上げられた自分の身体とにハインリヒは、怒り任せに叫ぼうか、
それともこの拘束から逃れて逃げようか、戦おうかと、常ならぬ混乱状態に頭を陥らせ、
無駄に時間を空費した。その間も島村ジョーは無表情にハインリヒの身体をベッドに放り、
その上に馬乗りになる。部屋の明かりが点滅し、その表情は逆光に黒く塗りつぶされた。
 首筋に怖気を感じながらハインリヒは胸の内で叫ぶ。ああヒルダ、僕は君を失って、こ
のような身体になってもなお、浅ましく生き続けてきた。そして頂いた名が、聞いてくれ
『死神』だよ。ふふ、どうやら君の元へは行けそうもない。しかしヒルダ、聞いてくれ。
死神が悪魔に襲われようとは想像だにつかないだろうって言うかどうにかしてくれ助けて
くれヒルダー!!
 と、まさにハインリヒが心の奥で亡き恋人の名前を叫んだ瞬間、壊れた戸口から白くほ
っそりした手が覗き、無慈悲に引き金を引いた。銃器特有の発射音と共に、馬乗りになっ
た島村ジョーの背中で光線が弾け、彼の身体はゆっくりと横に傾ぎ、倒れ、ベッドから転
げ落ちた。ハインリヒは慌てて首を曲げ、戸口を見ては心からの安堵でその名を呼んぼう
としたが、次の瞬間その顔を凍り付かせた。
 戸口に立っていたのは四十年間連れ添ってきた仲間であり、まるで家族か妹のように見
てきた女性、繊細なフランス人バレリーナ、フランソワーズ・アルヌールであったが、彼
の見た姿は、おそらくブラック・ゴーストがまさに作り上げたかったのであろう、その双
眸に氷のように冷たい光を宿し、仮面のように凍り付いた顔で黙ってスーパーガンを構え、
無警告でパラライザーを発射したサイボーグ戦士、003だった。
 彼女は銃をホルスターに納めると、つかつかと近寄っては、ハインリヒなどには見向き
もせず、床の上で気を失っている島村ジョーの襟首を掴み、来たときと同じく無言のまま
つかつかと部屋を去っていった。ジョーの身体の引きずられる音が、闇に消える廊下の向
こうからもいつまでも聞こえてきた。
 ハインリヒは拘束用のなにやらやたら丈夫なロープで縛られたまま、一人置き去りにさ
れた。背中の汗は引いたが、見事このまま放置されてしまったという奇妙な肌寒さが彼の
全身を包んだ。ふ、廃墟に置き去りにされ、そのまま朽ち果てるとは全くもって死神に相
応しい最期じゃないか、と呟くも虚しい。
 しかしその時、遠くから弱々しいジェット音が響いてきた。それはもちろん、バリだの
マイアミだのに脳内を春色に染めた観光客を乗せて飛ぶ大型旅客機の音ではなく、自分と
同じくミサイルなんぞを腹の中にたんと詰め込んで飛ぶ軍用機の音ではなく、そんな重た
い体をした感情のない機体の音などではなく。ハインリヒは思わず、無理な体勢で首を巡
らせ、壁に開いた大穴から空を見上げた。
 舞い降りてきたのはもちろん、細身の長身に羽根もつけず空を自在に駆け回る、四十年
も前からの戦地のパートナーにして、プライヴェートであればこれまで百二十四回の夜這
いに失敗している彼、ジェット・リンクだった。ジェットはようやく部屋まで辿り着き、
よろめきながら着地した。それを見て安堵しかけたハインリヒであったが、ふと再びの危
機に陥ったことを知った。奇しくもさっき聞いたではないか。

『パンツを脱ぐのも、ピロートークをするのも、とにかく相手を完全に手中に収めてから
ってことさ』

 そして自分は今、ほぼ相手の手中にある。
 背中の汗が蘇った。首筋の怖気が蘇った。彼は目を瞑り、再び心の中で亡き恋人に呼び
かけようとした。しかし。
 ふと、足の拘束が解かれた。恐る恐る目を開けると、何重にも、また膝のミサイルを発
射されないよう厳重に固定されていたロープを不器用そうな手つきで外すジェットの姿が
あった。彼は煤で汚れた顔も拭わず、黙ってハインリヒの拘束を解くのに集中していた。
手首が解かれ、そこと連動していた首や背中のロープの結び目が解けると、ようやくハイ
ンリヒの身体は自由を取り戻した。
 ジェットはハインリヒの隣に座り、手の中で解いたロープをごちゃごちゃと丸めながら、
何かを言いあぐねていた。口を開いては噤み、一息吸っては言い出せないまま溜息として
吐き出す。決心するまでに五分四十二秒かかった。ようやくジェットは口を開いた。
「その、004……、いや、アルベルト」
 だがそれも最後まで言い切ることの出来ないまま、ジェットは顔を赤くして口をパクパ
クと水揚げされた魚のように開閉した。それがハインリヒには少し意外で面白かった。ハ
インリヒはただ、黙って頭を胸にもたせかけただけなのである。ジェットの左手がらしか
らぬようにおどおどと肩に回される。それでも肩の上に置くか置くまいかで空中を逡巡し
ていた。
 結局、清水の舞台からは飛び降りたらしい。今まで、見ている方がこれは何かの一発芸
かと勘違いして感心するような早業で服を脱いでベッドにダイヴしてきた男が、肩に手を
回すことにこれほど時間をかけるとは思ってもみなかった。ハインリヒはゆっくりと体重
をかけ、相手に身体をあずけた。すると左腕がしっかりとそれを抱き寄せた。
 ハインリヒはそうそう簡単に自分の幸福を悟られるのも癪なので、ジェットに知られな
いよう、こっそりと笑みをこぼした。

          *

「最終的にハッピーエンドと言うことだね」
 001、イワン・ウィスキーがテレパシーでその様子と自分の感想を述べた。
「何だか…許せない」
 先ほどのハインリヒのようにきつくロープで縛り上げた島村ジョーの上に腰を下ろして、
フランソワーズ・アルヌール、003は遠くを見、ぽつりと呟いた。


                                    終劇


今まで厨房激闘編さえ、後に関連性があったのに、これは完全に別物。番外編。
というか、こんな険悪な仲間たちって、涙が出る。
そして信じて欲しいのですが私も黎明さんも、フランが大好きです! 本当です!

ブラウザのバックボタンでお戻りください。