厨房激闘編再会したジェットはまめに厨房に立つ。 何かそれなりに命に関わる目にあったらしく、厨房の入り口に立ち、彼は開口一番 「料理を教えてくれ」と大声で言った。少し顔を赤らめて。それを隠すように深く頭 を下げて。それを見た張々湖とジョーは顔を見合わせてちょっと笑った。短気で直情 的な、それ故に危機に陥ることの多いこの男の、しかし直情の裏返しにこのように素 直な部分を、おそらく皆が愛している。張々湖の顔が嬉しそうにほころび、ジョーも それに応え淡く微笑んだ。 「トーフ、触ってみてえな」 夕食後の後かたづけをしながらジェットが独り言のように言った。 「どうしたのさ、突然」 シンクで洗った皿を手渡しながらジョーが尋ねる。戦闘時に意見の食い違いが多い ことから、いつもは奇妙な反目めいた距離があるものの、二人で後かたづけをするの も三度目で、間にある空気も随分気安いものとなっていた。 だってよ、とジェットは言う。 「この前、マーボードーフを手伝ったときに触ったやつは固かったのに、今夜のミソ スープは違っただろ? こう、ツルンとしてて柔らかかったぞ」 「ああ、絹ごしだからね」 「絹ごし?」 皿を拭く手を休めてジェットが怪訝な顔をする。ジョーも手を休め、怪訝な顔を見 つめ返したが、沈黙を挟んで答えた。 「…作り方が違うってこと」 「お前、今、俺のことバカにしなかったか?」 「してないよ。僕だって詳しい作り方の違いを知らないんだ」 で、豆腐に触りたいの?と尋ね返すと、おう、と鳶色の目を細め相手は無邪気に笑 った。 「こう、グシャグシャっと潰したら気持ちよさそうじゃないか?」 「形が崩れたら食事に出せないよ」 「でもいっぺんやってみたくねえか?」 「うーん…」 「やっぱ俺とお前は感性が違うよな」 「君が粗野なんだね、モチロン」 「ふん、精々お上品ぶれよ」 ジョーは肩をすくめ、泡の中を探った。 擂り粉木があった。彼はそれを水にさらし、すすいだ。持ち手の端を握り、もう片 手で全体に付いた泡を洗い流す。乾燥機にかけたときの急な乾燥のせいか先端から一 本亀裂が入っており、その間に味噌が詰まっている。それを短い爪で掻きだし、先端 を指先で拭う。 ふと、妙な沈黙が立ちこめていることに気づく。隣を見ると、ジェットがじっとジ ョーの手元を見下ろしている。 「…何?」 「いや…」 ジェットは少し言い淀んだが、ストレートに言った。 「やらしい手つきだな」 その瞬間、空気が変わったのをジェットは察した。いつぞやアフリカでサイボーグ マンに足をやられたときよりも敏感にそれを察した。 ジョーは綺麗に唇の両端を持ち上げてみせ、言った。 「なんなら君で試してもいいんだよ?」 口元は笑っているのに、見つめてくるその赤い瞳の奥が笑っていない。 顔を見合わせたままアハハと乾いた笑いの二重奏を奏でてみたが、それもジェット の方から途切れた。 再びの沈黙。 やおらジョーの唇が開き、低い声が 「加速…」 「わーーーっ!悪かった!俺が悪かった!」 途端にジェットは布巾を放り出し両手をすりあわせ、土下座せんばかりに謝ったが、 ジョーは既に興味をなくしたような顔でシンクに向かった。 再び皿を洗う音だけが厨房に響く。 あの、とジェットが声をかけようとすると、ジョーが先に口を開いた。 「……003には聞こえてるだろうなあ」 ジェットはしゃがみ込んだまま、情けない顔で見上げる。ジョーはそれを諦めたよ うに見下ろしていた。 「こういうのを何て言ったっけ?」 「……自業自得」 「イエス」 願わくばもう少し君のこと好きでいさせてほしいんだけど、とジョーが独りごちる。 力無く隣にたたずむジェットは辛うじて、善処します、とだけ答えた。 再会したジェットはまめに厨房に立つ。 しかしなるべくジョーと並んで立つことはしない。 フランソワーズは食後のお茶に口をつけつつ、張々湖に追い立てられて厨房に歩い て行くジェットを横目に見送った。 「学習能力、あるんじゃない」 「ん、何が?」 耳ざといブリテンが聞き返す。 「何でもない」 そして彼女は非常に不機嫌そうに紅茶を飲み干した。 ---------+---------+---------+---------+---------+---------+--------- If:島村ジョーではなくアルベルト・ハインリヒだった場合 (前略) ジェットは少し言い淀んだが、ストレートに言った。 「やらしい手つきだな」 その一言を境に、一瞬で厨房の空気が変化した。 ハインリヒはおもむろに右手を口元に持ってゆき防水手袋を取った。それを床に吐 き捨てると、彼の薄い唇から地を這うような声が漏れた。 「……お前とは一度、決着をつけねばと思っていたんだ」 「け…決着って……」 そんな大仰な、と笑ってみせるが、ハインリヒは膝を折り、完全に臨戦態勢に入っ ていた。 「長い付き合いだ、とうにご存じだろうが…」 「ア、アル…」 「俺の名は…」 「ごめん、俺が悪かっ…」 「『死神』だ!!!!」 「…取り敢えずドルフィン号は内部からの攻撃にも備えて強化すべきだってことだね」 ピュンマが顔の色をなくし、提案する。 「よって次回の予算はそっちに回したいと思うのですが」 「異議あり!」 ギルモアが手を挙げる。 「その、コトが起きる前に未然に防ぐというのは…」 無理です、とピュンマ、ジョー、フランソワーズが声をそろえ、そりゃあ無理でしょ う、とブリテンがニヤニヤ笑う。張々湖は困った顔で、沈黙は金、と格言を持ち出し、 ジェロニモは黙って深くうなずいた。 イワンはそんな七人の頭上をふわふわ飛んでいたが、冷静に語りかけた。 「でも削られるのは僕らの食費と余暇での地上の滞在費になるよ……つまり、娯楽費 だね」 「ああ、俗に言う機密費…」 ピュンマは既に表情さえ作れない。 「じゃあ反対だ」 娯楽費の一言で真面目になったブリテンがテーブルを叩く。 「っつうか全会一致で反対だろ?」 「いや、ワシは特に娯楽は…」 「博士の煙草代も削られます。その方が健康にもいいとか打ってつけの理由で」 「酒も削られるな?」 「当然だよ、007は元アル中じゃないか」 「移動中はタダでさえ食費がツライネ、切りつめ、カツカツ、限界アルよ」 「腹が減っては戦はできぬ、だ」 「オウ、007その通りネ」 「たまの息抜きの舞台も見に行くな、と言いたいのかしら」 「003……」 「ああ、009っ、そんな悲しい目で私を見ないで…」 「若者はかくのごとく涙に暮れ、しかし涙の下に素顔を隠すのが女…」 「007!」 会議にかこつけてストレス発散の言いたい放題大会になりかけたところで、ジョー がぽつりと呟いた。 「004もさっさと一発やらせたらいいのに…」 喧噪が突如吹いた北風に吹き流されたかのように静かになった。 「009……」 全員の呆然とした声が呼ぶ。 「いっそ、その方が静かになるんじゃないかな」 「009……」 「004がじらしてるのが002の暴走の最大要因だろ?」 「いやまあ、そう…」 ピュンマの顔は蒼白を越して紙の色をしている。 ブリテンが身を乗り出し尋ねる。 「やっこさんたち、まだだったのか…?」 「僕の把握している限りでは」 「把握ってお前さん…」 言いかけたブリテンに対し、ジョーはにっこり笑ってみせた。 「007」 「あ、スンマセンスンマセン」 「……まあ、僕の知る限りでもね」 とイワンも付け足す。 「それは第一世代期からってこと?」 ジョーの質問に直接は答えず、イワンは続ける。 「理由はいつだって一緒さ、遠慮してるんだ」 その時、それぞれの視線が曖昧にフランソワーズの上を通って、何人かが咳払いを しながら彼女から目をそらした。 「しかし先日の集合まで十分時間はあったはずじゃが…」 「ギルモア博士、自分の子供の性生活ってへこみませんか?」 「少しな…。じゃが、これは現実問題じゃ!」 「そうですね…、ほんと時間はたっぷりあったはずなのに」 ジョーが「たっぷり」を強調する。 するとそれまで口を噤んでいたジェロニモが静かに切り出した。 「002は004が好きだ」 あまりにもストレートな言葉に、それを前提に話をしていたにも関わらず皆のお喋 りがやむ。何故かジョーが少し顔を赤らめた。 「002は002の優しさを持っている。奪うばかりでは愛情ではない」 皆の顔が不意に真面目になり、控えめながらも全員が拍手をした。 「新鮮な言葉だ」 「ただれた議題の論争ばっかりだったから」 「心が洗われるようアルね」 「流石、説得力のある科白は心に響く」 「おっと、アカデミー俳優のお墨付きじゃな」 「あはははははは」 「ははははは」 一通り、皆で暖かな笑い声をたて、その場はお開きとなった。 「ところで壊れた厨房はどうするアルか?」 「そりゃあ006、あいつらにぴったりの言葉があるぜ」 「フーム、自業自得、アルね」 「イエス」 いやいや若ぇなあ、とブリテンはどこか楽しそうに笑った。 |